ゆっくり解説動画を使って知識を得ることの是非
地中海の国々が貧しいのは気候のせい?
先日「イタリアやギリシャが貧しいのは地中海性気候だから」(雑にまとめるとそうなる)という話を聞きました。
おそらく、こちらの動画が元ネタだと思われます。
なかなか斬新で面白い仮説ですよね。
イタリア、スペイン、ギリシャなどは「地中海性気候」という気候です(ケッペンの気候区分でいうとCs)。
夏に雨がほとんど降らず、乾燥しています。日差しが強く降水量が少ないため、オレンジ、オリーブ、ブドウのような植物が栽培されています。
ところがこうした果樹は小麦や稲ほど作付面積あたりの利益が高くなく、農家が貧困から抜け出すのが難しい。
それゆえに地中海に面した国々は、フランスやドイツに比べて貧しい、という話のようです。
雑学大好き、もちろん地理も大好き(理系だったので地理選択でした)な私がこういうよくできた話を聞いてまず抱くのは「疑い」でした。
もちろん興味や好奇心、関心はありますが、そういったエピソードを聞いた時にまず持つべきなのは何といっても疑いです。
なぜ疑いを持つべきなのかは後から説明するとして、とりあえずこの動画の信ぴょう性がいかほどのものなのか、データから検証してみます。
ビッグマック指数を用いる欠点
動画で触れられているように、経済学の一つの指標に「ビッグマック指数」があります。英語ではBMIと略されます。
簡単にいうと「その国でのビッグマックの値段を、アメリカのビッグマックの値段を基準として表したもの」です。
例えばこちらのデータによれば2021年3月現在のアメリカのビッグマックの値段は590円(5.66ドル)で、日本は390円です。\((390-590)/590 \approx=-34\)となり、BMIは-33.93となります。
この指数を使うと、それぞれの国の経済状況が丸わかりになるというのです。それは以下の三つの理由のため。
- マクドナルドは多国籍企業である。
- ビッグマックの材料や大きさは世界共通である。
- 原材料費や人件費を価格設定に反映している。
やさしく言うと「原材料も量も同じなのに、作るための値段だけが異なる」という理由でこの指数が(経済状況の比較のために)使われています。
さらに言えば、この理由によってBMIを指標にできるのは「通貨が違っていても、同じ商品は同じ値段で売られるだろう」という前提があってこそです(一物一価の法則)。
当然、BMIがちゃんとした基準になっているのかという批判はあります。私が5分考えただけでも以下の懸念が出てきました。
- 発展途上国ではビッグマックはぜいたく品扱いなので価格が高いのではないか?
- 牛肉を食べられない国では需要がなく、価格が低いのではないか?
- 材料を輸入に頼っており、関税が高い国では価格が高くなるのではないか?
- ビッグマックが全ての国で同じ重さであるというデータはあるのか?
購買力平価という概念を説明する際、経済学の本のコラムに載せるぐらいなら構わないでしょう。しかしこれを真面目に「経済力の指標」と考える経済学者はほとんどいません。
素人に毛が生えた私でさえ、上のような欠点を思いつくのですから。そして実際、この指標は経済誌Economistが冗談半分で提起したもののようです。参考程度に考えておきましょう。
…というわけで、BMIなんかで経済力を乱雑に二つに分けてる点でこの動画はさっそく問題なのですが、放っておいて次に行きます。
スイスとイタリアを故意に説明から除いている
動画ではBMIをもとに「地中海性気候の国々のほうがビッグマック指数が低く、貧しい」という説明がされますが、ここでも問題があります。
もしこの事例を説明したいなら、絶対に省いてはいけない説明があるのです。
それはスイス。そしてイタリア。
帝国書院の新詳地理資料(2014年)によれば、スイスの気候区分は西岸海洋性気候(Cfb)とあります。
さらに詳しく見てみるとして、Wikipediaのこちらの図では冷涼な地域(Dfa,Dfb)、ツンドラ地帯(ET)、そして氷雪気候(EF)も入っています。
これらの地域ではほとんど農業はできず、できたとしても酪農が精いっぱい。こちらの資料によればスイスは国土の4割が海抜1300m以上で、生産力が低いとあります。

国土の約 4 割は海抜 1,300m を超え、条件不利地域が多いことから、農業生産における競争力は低いとされる。
スイスの「農業政策 2018-2021」の具体的内容
動画では「地中海性気候はBMIが低いが、そうでない気候は高い」と説明されています(5分50秒のところ)。
スイスはヨーロッパでも特にBMIが高く、2020年~2021年のデータでも世界一でした。
動画のように「作付面積あたりの利益が大きい農作物を栽培できないから」という理由で経済を説明するなら、なぜスイスに限ってこれだけBMIが高いのでしょうか?
動画の尺の都合上、この説明は省かれていました。個人的にはかなり致命的だと思います。もちろん、スイスが伝統的に他国に干渉せず、傭兵ビジネスによってお金をせしめていたこと、そのお金を利用して金融ビジネスに手を出したことが要因ではあるでしょう。
しかし、そうやっていろんな理由で説明できてしまうなら、わざわざ気候や農業をBMIの差に見出す必要がありません。
そしてもうひとつ、こちらも致命的なのですが、説明ではイタリアが省かれていました。こちらは故意だと思います。
高校の授業ではなんといっても「地中海性気候と言えばイタリア」というノリで学習しますが、

このようにイタリアは、地中海性気候にもかかわらず「経済レベル=低」の赤色網掛けがされていないのです。
それもそのはずで、こちらのデータではBMIはフランスよりイタリアのほうが高く、これでは気候とBMIを結び付けることができません。
仮説を示す上で致命的なので外したのでしょう。しかも意識的に。
もちろんこちらも「イタリア北部では水運が発達しており、重工業があったため」「北部では稲を作れるため」「観光業が盛んなため」など後付けの説明ができます。
しかし、各国についてそうやって説明できてしまうなら、もはや地中海性気候=経済力低、の等式を成り立たせる必要がないのです。
結論として、これは私は「疑似相関」だと判断しました。地理は確かに他の学問と綿密に結びついてはいますが、地理学(気候)だけがその国の生産力を決めるのではありません。
歴史、政治体制、戦争、国民性など、とても複雑なものが複雑に絡まり合っているのです。
そのうち一つを都合よく摘み取ってキャッチーに説明したという意味で、つまり初学者に興味を抱いてもらう意味でこれらの動画は有意義ですが、
間違っているものはやはり間違っていると言わなくてはなりません。
自分自身への批判精神こそが知性
別にこの動画の作者に恨みがあるわけではないです。ただ最近の「学びやすいものほど、よいよね」という風潮に抗ってみたくてこの記事を書きました。
雑学としてとどめておくならそれでよいのですが、私は知性を「事柄をたくさん知っている」という意味ではとらえていません。むしろそれは知性とは逆の姿勢とさえ思います。
知性とは「自分自身がもつ知識を自分自身で疑い、再構築していく営み」だと考えています。その上で自分自身の豊富な知識はむしろ、邪魔にさえなります。
ここらへんが本当に難しいところで、何かを疑うためには知識が必要なのに、たくさん身につけて武装すると、今度はその知識が自分の考え方をがんじがらめにすることがあるのです。
ちょうど、武装するために刀を100本持とうとすると身動きが取れなくなるようなものでしょうか。
お手軽に得られる知識は知性に繋がるのか
流行している「ゆっくり解説動画」や「オリエンタルラジオ中田氏などによる書籍の紹介」などは、実は知性の涵養とはほとんど逆の方向にあるコンテンツだと考えています。
そのように書いたのは、私もその類の動画を愛しているからで(頭を使わなくて済みますからね…)私自身への戒めとして批判する必要がありました。
まるでスナック菓子のように自分に都合のよい知識や「気持ちがいい!」となるようなつじつまの合う知識をつまめるのですから、中毒性もあります。
マニアックな話題なら、他人に話したいという欲求も満たせます。しかしそういった快感ばかりを得ていると、本当にその説明が成り立つのか疑わなくなってしまいます。

YouTubeは動画の面白さを追求するために、あえて難解な部分を省略することがあります。
つまり、上の画像の説明、本当は…

こうかもしれませんよ。動画に載ってないだけで、作者はわざと

こうやっておびただしい数の文量を削除しているかもしれません。
でも、最初から「AはCである」までの最短ルートしか知らない人は、それを見ても「嘘だ!」「せっかくまとまりの良い説明に水を差すな!」「興味を持てるならいいだろ!」と正当化してしまいがちなのです。
これが「ゆっくり解説」などの動画コンテンツを私が安易に称賛できない理由でもあります。
知性を手放さないようにしよう!
これを煮詰めた結末が、自称保守派による歴史修正主義、つまり「日本人は本当は、太平洋戦争を起こしたくなかった!」「日本人は戦後、GHQに洗脳されてきたんだ!」というグロテスクな理想化なのでしょう。
難しい書籍や一次資料にあたることを忘れ、インターネットでお手軽に摂取できる『真実』をインストールして、向こうの世界から帰ってこれなくなった人々なのだと思います。
その延長線上に、あなたも私もいるであろうことを忘れていけません。
『知性』を安易に手放さないようにしましょう!
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