名言「配られたカードで勝負するしかない」は自己責任論でしかなく人を傷つける

生き方
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スヌーピーの名言「配られたカードで」

漫画「ピーナッツ」にはこのような文章が登場するようです(私も原本を読んだことがないのですが、コマは画像としてあります)

ルーシー「時々、わたしはどうしてあなたが犬なんかでいられるのか不思議に思うわ」

スヌーピー「配られたカードで勝負するしかないのさ…それがどういう意味であれ」

「ピーナッツ」チャールズ・M・シュルツ

調べてみると確かに原典があるようで、それが「スヌーピーのもっと気楽に (2) のんびりがいい」という名言集のようです。

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この”You play with the cards you’re dealt”はポーカー界隈の昔からの箴言で、スヌーピーがそれをかっこよく言った、というのが実情のよう。

さて、ここでこの名言の強度について確かめてみましょう。

人間は良い言葉を聞くと「す、すげえ…」となって一時的にIQが下がりますが、そこからがむしろ本番です。

いったいこの名言はどんな時に適用でき、どんな時に適用できないのか

それを考えてみましょう。

「配られたカードで勝負してみよう」と思うならアリ

まず、自分を励ますときに使う。これはもう百点満点だと思います。確かに人間、羨んだりねたんだりするだけでは前には進めません

どこかで必ず見切りをつける必要があるのです。

人生において与えられたものにはそれぞれ限りがあります。例えば寿命はその一つです。120歳まで生きる人間がいれば、5歳で事故死する人間もいる。

120歳まで生きた人は良いことをし続けて、5歳で死ぬ子は悪いことをしたのか?

違う。たまたま、運命によってそうだっただけです。

これもまた「配られたカード」ではないでしょうか。

才能。学習能力が高い人は何をやってもうまくいきやすいですが、一般に学習能力が低いにもかかわらず、ある特定の何かにものすごい適性を見せる人がいます。

全国トップレベルの人はどんな競技であっても、そのずば抜けた適性を持ちながら努力を重ねているのでしょう。同じ努力をしても成功しないことは多々あります。

健康。健康だって立派な才能です。生まれつき病弱でずっと入院している人もいれば、膝や顔をすりむきながら走り回る人もいる。ただたまたまそういうステータスを与えられただけ。

私にとっては、「誰を愛するのか」さえもそのカードに含まれていると感じます。

大多数の人はまったく考えもしないでしょうが、生まれついて同性しか愛せないとか、そもそも自分の性別がよくわからないという人がいます(私も、その一人です)。

そういう人は多数の人よりも、自分とは何なのか、存在していいのか悩みやすい傾向にあります。

これらの全てのカードは一つとして、他人と取り替えることができません。繰り返しますが、誰かをねたんだりしているだけでは、絶対に人生はうまくいかないのです。

幸せが自分の手元に、最大限自分の手札をいかしきって、この人生というゲームを上がらなければならない。

……そういった、自戒としての名言ならば、本当によくわかります。

「配られたカードで勝負しろ」と他人を攻撃してはいないか

私が問題視したいのはむしろ次のことです。

相手が何かをうらやんでいたとします。

まあ何でもいいでしょう。金、健康、顔、性格、性的指向…。

世の中にある何かのカードについて、その良しあしを論じているわけです。自分のもち札はこんなに悪かった、と…。

こういう時に使う「配られたカードで勝負するしかないんだよ!」は、私は大反対です。

スヌーピーの言葉が名言であることは認めますが、他人を批判するためのマジックワードとして用いた瞬間、もうそれはただの「自己責任論」になります。

なぜか?

大原則として「貧しい手札を引きたい人なんか、誰一人いないから」です。

そうでしょう。金も顔も性格も、ほとんどの人は「優れていたほうがいい」と思っているわけです。

ここでいう「優れている」「劣っている」とは客観的なものではなく、主観的なものです。

イケメンで大損したとか、資産家の育ちであるがゆえに愛に飢えていた、ということはあり得るでしょう。

でも、彼らは彼らで「普通の顔(資産)を優れたものとして扱い、自分の顔(資産)を劣ったものとしてみなしている」わけですから、その例(優れていたほうがいい、という考え)に当てはまります。

これがあまりに恣意的(こちら側に都合のよい解釈)であるとするなら、譲って「客観的な指標」で論じてもよいでしょう。

例えばお金について、貧しい人が豊かな人をうらやんでいるとします。そうして貧しい人がこういうわけです。「ああ、もっとお金があったなら!」

豊かな人はそれを見てちちちと指を振って「配られたカードで勝負するしかないんだよ」

どう思いますか。何言ってんねんこいつ、と思いませんか。

もっといやらしい例を出してみましょうか。この「貧しい人」を自分、「豊かな人」を政治家に置き換えてみてください。

「貧しいんです!暮らしが立ち行かないんです!助けてください!」

「何言ってるんだね。人生は配られたカードで勝負するしかないだろう?」

ここまで極端にすると、この名言が他人を攻撃するときには実に効果的に、そして辛辣に働くことがわかるでしょう。

配られたカードで勝負するのが人生だろう!?と思ってしまうと、そこから福祉の発想は絶対に出てこないんですね。

もしこれが真理で、人類がみな従っていたならば、フランス革命なんか絶対に起こらなかったでしょう(革命自体がフランス北部の有産市民のためのものだった、という指摘はありますけどね)。

名言「配られたカードで」は自分を励ますときに使おう

というわけで、この名言は他人を刺すための凶器として使うのはかなり恐ろしいことなので、あくまで自分自身を鼓舞するために使ってみましょう。

妬みだけで人生が解決しないのもまた事実。どうしても他人をねたんでしまう人にとって自戒にするのは自由ですし、素晴らしいと思います。

しかしこの名言は、他人に向けて振り下ろす刃であってはならないな、と感じます。

みなさんも名言は用法用量をしっかりと守って服用しましょう。

くれぐれも、他人に飲ませないように…。

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