知識をネットで学ばない意味と、「これは正論」というネットの決まり文句の浅はかさ

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読書猿氏によるネット否定論は「正論」なのか

知識をネットで得ることへの幻想

こちらのツイートがバズっていまして。「中央公論」という雑誌の一文のようです。引用します。

―ネットで検索すれば知りたい情報が得られる時代に、知識を習得することの意義とは何だと考えますか?

「ネットで検索すれば知りたい情報が得られる」と無邪気に信じられるのは、知識の大海の深さと広がりをご存じないからだと思います。

答えは、読書猿氏(読書が好きな一識者)によるものです。

そして、このツイートがTogetterでまとめられていました。タイトルは「「これは正論」読書猿さんによる「ネットで検索すれば情報が得られる時代に知識を習得する意義」への回答が素晴らしかった」

私がモヤモヤを感じている理由は二つあります。切り取られた部分だけを読んでも、あんまり納得できない(のが道理だろう)…というのと、

よりによって「ネットで知識を得ようとすることの愚かさ」を論じている文章について「これは正論」と言って回ること自体、文章の意味を全然理解できてないということ。

これは別問題なので、ちょっとわけて論じてみます。

知識はネットでは得られないのか?そんなことはない

読書猿氏は大まかにいえば「ネットでは知りたい情報がそうやすやすとは得られないぞ」という旨のことを話しています。

まだこの本を注文したばかりなので何とも言えないんですけど、ここだけ読んで判断するに、ある意味的外れです。

「知りたい情報が得られない」という状態には、実は二種類あります。

それは「文字通り、全然知りたいことが出てこない」という状態と「出てはくるんだけど、正しくなかったり、厳密じゃなかったりする」という状態。

前者は、大学研究レベルのことを調べてもヒットしない経験がある方なら周知の事実で、そのレベルになると日本語でググっていてもまず出てきません。英語でググってやっと出てくるかどうか…みたいなところがあります。

とはいえ、Google Scholarでサーチすればたいていの論文にはアクセスできます。お金さえ払えば読めます。私の指導教員でさえ「紙媒体で論文を読むことはかなり少なくなった」と話していました。

現職の研究者さえそうなのに、本で知識を得ることをメインにする人なんて、この世の中にどれぐらいいるんでしょうか?だいたいみんな、多くをググって得てません?

まあ…論文の知識は体系的ではなく、ネットは体系的な知識を学ぶのには全然向いていないことは認めなければならないでしょう。そういった学習なら明らかに本のほうが効率的ではあります。

後者、「出てはくるけど厳密ではない」という状態ですけど、こちらも私は結構あります。私がこの前調べたのは「殺虫剤ってどうやって効くんだろう」という知識でした。

上位表示されてるページは一般人向けにたとえ話をしただけのものが多く(「虫の神経を麻痺させる」など)、具体的な作用機序が触れられていませんでした。

また「寝るときにヒツジを数えるのはなぜなのか」調べてみると、多くのページには「SheepとSleepが韻を踏んでいるから」という説明がありますけど、これも調査によると誤りの可能性が高いことが指摘されています。

とはいえ、ネットで知識を得て満足するような層は、そもそも「知識の大海の深さと広さ」を知らずとも全然問題ない気がします。

そして私の体感上、そういう層がこの国の、いや世界の大多数であって、知識の正確性、厳密さ、適用限界について意識的な人はそう多くない。少なくとも過半数ではない。

そう多くないから反ワクチンに行くし、陰謀論に行くし、デマが広まる。

いや親ワクチンのほうだって同じですけどね。コロナワクチンの話だって、正確にmRNAワクチンが効く理由とかmRNAの詳細とかを説明できる人が世の中の過半数なんですかね。

なんかわからないけどニュースで効くって言ってたから、ネットだとみんな打つらしいから、専門家が正しいって言うから、ぐらいのレベルで知識を運用してますけど、それで問題起きてないですよね。

私は知識の深さと広さとやらを知ると自負するからこそ「ネットは完璧じゃないな」とわかるけど、ネットで適当にググっただけのことが絶対的に正しいと信じているぐらいの人たちにこんな説明しても、納得してくれるのかって思っちゃうんですよね。

その人たちって単にネットのことを「便利な外部記憶装置」ぐらいにしか思ってないし(私もある面ではそうです)、ましてやその記憶の正しさとか厳密さを疑うようなことしないんですよ。自分の頭の記憶が正しいかいちいち疑わないのと同じで。

そうでもなければ「調べてみました!わかりませんでした!いかがでしたか?」ってお金稼ぎ主義と無知を恥もなく開陳しといてなぜか誇らしげなサイトとか「おすすめの洗濯機13選!」って使ったことねえようなものを勧めるあっさ~いサイトが上位に来たりしないです。

つまり「知るのが難しい知識」なんて本当に頑張ればネットにはもはやほとんどないし(専門的な知識はネットに論文という形で上がってますから)、「厳密さを検証すべき知識」の重要性なんて過半数は認識してない、認識できないので、この読書猿氏の答えは正しくないんじゃないかなと。

本当に「刺さる」とすれば、「知識の広さや深さ」という抽象的で曖昧な答えを「正論だ!」ってもてはやして疑うこともしないぐらいの人たちにであって(そこにはちょっぴり私も含まれてますけど)、それ以上でもそれ以下にも的外れだと思いますね。

だから、読書猿氏の説明が成り立つのは「大学教養前後レベルの体系的な知識」と「正しさ・厳密さを専門的に検証すべきである(と個人的に思った)知識」のいずれかであって、それ以外ではないです。具体的には

  • 中学高校レベルの知識
  • ライフハック系の知識
  • おすすめのもの13選系の知識

について、それを本で得てもネットで得ても、全然変わらないというのが持論です。

いっけん正論に見えるものこそ危ういのだが

でもう一つ「ネットってしょーもねえなあ」と思わされる出来事が、Togetterのまとめのタイトルなんですよ。

PVを稼ごうとする意図があるんでしょうけど「これは正論」っていう、このツイートをした人も読書猿氏も言ってないセリフが勝手に追加されてるじゃないですか。

「これは正論」読書猿さんによる「ネットで検索すれば情報が得られる時代に知識を習得する意義」への回答が素晴らしかった」

こういうのは私本当に大っ嫌いで、やる人全員分厚い本でびしばし両頬を叩かれないかなって思うんですよね(本は大事に扱いましょう)。

どこの馬の骨とも知らない人が読書猿氏や中央公論に許可を取らずに載せた一文を読んだだけで「正論だ」って言っちゃえる顔面の皮膚の厚さとか、そのタイトルでまとめちゃえる罪とか、むしろ本当に責められるべきなのってそういう姿勢じゃないんですかね。

顧みない姿勢がネットを悪くしてるとか思わないんですかね。

もはやネットにおける「正論」の意味が変わってしまってる気がしています。正論というのは文字通り「論理的に正しい論」「誰が見てもその正しさが自明な論」なんですけど、いまやその意味は変質しています。

「痛烈に世の中をぶった切ったように見えるだけの論」はすべて正論と呼ばれてます。

正論という決まり文句によって論を評価するとき、その論が本当に厳密なのかどうか疑うプロセスは差し挟まれる余地がありません。

もう誰かが正論といえば大多数が「そうだ、正論だ」と言って場の流れが決まっておしまいで、そんなことをTogetterの利用者たちはずっとやってて飽きないみたいだし、みなさんすごいなあ(皮肉)と感じさせられます。

よりによって「ネットで万能な知識が得られるなどと思うな」と指摘する文章を用いて、「これは正論だ~!」ってやってて、いやまず鏡見ろよお前!!お前だぞ!お前!!!って、ならないのかなあ。

本当に皮肉なのが、読書猿氏の「検索だけで全部がわかると思い込むのは、知識の深さや広さを知らないからです」という回答自体がしょせんネットレベルどまりなんですよね。私だって言えますから。

そんなネットレベルどまりの言論を「これは読書猿氏の回答だから正論だろう」「ぶった切ってるから正論だろう」と、深く広く考えてみることもせずに信じて「正論だ」ってネットで言って回るの、人類…人類…醜いぞ…!ってなっちゃうんですけども。

ネットの切り取られた部分的な回答だけで納得しないようにしよう

読書猿氏の回答が正確にはどうだったのかは本が届いてから別記事で記したいと思いますが、ともかく私が重要だと訴えたいのは「私の論が正しくて読書猿氏の考えは間違ってる」ではありません。

私の論が正しいかどうかはどうでもいいです。

ただ、一見して正論に見える、みんなが正論だと述べるものについて、それを一度疑ってみて「裏があるんじゃないか?」「この論の適用限界条件は何か?」を考えてみるプロセス。

それこそが知性の必要条件だと私は思いますし、本当に伝えたかったことです。

本当の知性というのは一歩間違えれば言いがかりや陰謀論に見えるところにあると思っています。自説や自明に思えることを疑ってみて、自分自身でその限界を探り、新たな知識にする。

そのプロセスの中には、他人が貼った一文であーだこーだと騒ぐことは含まれていませんよ。

知性について知りたい方はこちらもどうぞ。

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