お金に「価値」があるのはなぜなのか、なぜお金が紙でできているのか、わかりやすく解説します

社会学
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なぜお金が価値を持つのか

生きてきてなかなか疑問に思いませんが、せっかくなので考えてみましょう。

いったいなぜお金が価値を持つのか、という疑問。

これは一見すると子どもらしい自由な発想といえなくもないですが、むしろ概念の理解が進んだ我々、大人のほうが、問いを立てやすい気がします。

なぜなら子ども、特に日本のような発展国の子どもは、生まれたときからお金が身近にあり、しかもそれを稼ぐ経験をしていないからです。

大人になればほとんどの人は働いてお金を稼ぎますが、じゃあ労働の対価としてもらえるこのお金とは一体何なのか?

お金の目的は「手間を減らすため」

まず、何のために人間がお金を使うのか、から考えてみます。答えは案外単純で「手間を減らすため」だと言えます。

言い換えると、本来なら自分で作ったり組み立てたりしなくてはならない工程を、お金によって他人にやってもらうことができます。

このようにお金の目的を定義しちゃっていいのか?という問題ですけど、今のところ私の中では反例、つまり「当てはまらない例」が見つかっていません。

もちろん「誰か親しい友人に無料でやってもらう」ことは可能ですが、そんな人脈のある人間のほうが少ないといえます。

お金があれば、見知らぬ国の見知らぬ人間にさえ業務を依頼できるのです。人脈をつくりに行く必要がありません。

我々がお金を欲しがるのは、お金によってモノやサービスを享受できるからです。言い換えれば、本来自分がやるべきことを、お金を払うことで他人にやってもらえるのです。

そしてこの「分業」とでもいうべきスタイルをほとんど世界中の人間がやっています。互いに不足する部分を埋め合っています。

考えてみてください。

自分でエアコンをつくれますか?

自分で歯を治療できますか?

自分で髪の毛を切れますか?

自分で服を縫えますか?

自分で配管工事できますか?

自分で家を建てられますか?

これら全てのスキルを完璧に一人でやってみせる人は世界には(たぶん)おらず、それぞれのプロがそれぞれのプロに任せています。

このとき、任せましたよ、という合図に手渡されるのが「お金」です。

つまり、お金の本質は「交換」にあります。

お金の本質は「交換」

お金の目的が「手間を減らす」であるならば、怠惰(なまけもの)な人間はどんどんお金を使って、他人に業務をさせようとするでしょう。

この時、自分がプロとして関与できる部分は本当に限られているので、何か特別な複数の才能を持った人だけで共同体を構成しない限り……つまり我々が「普通の人間」である限り、

お金というものは世の中を巡り廻るさだめにあります。

この事実は案外大事で、世の中をめぐっているからこそお金に価値が生まれます。

巡っているということは、それだけみんながお金を使用しているということであり、みんなが使っているということはつまり「みんなにその価値を認められている」ことに他なりません。

私(ルナール)がピースサインをしている絵を印刷した「ルナール紙幣」を印刷しても価値はないでしょう。

なぜなら、誰もそれを使っていないから。しかしそれをみんなが交換して使うようになれば、ルナール紙幣に価値が生まれてきます。

交換されることによってお金は価値を持つ

実際のところ、お金が価値を持つのは交換されるからなのです。

そして、そのためにはお金、というか貨幣自体が無価値である必要があります。

お金(貨幣)の価値は本来、無であるべき

「お金に価値がある」と皆さんは思い込んでいますが、それは「お金」一般についての話にすぎません。

お金という概念を現実世界に表出させたのが、目に見える形の「貨幣」なのですが、貨幣には一つ、とてもとても大事な条件があります。それが「交換したくなる」ということ。

言い換えれば「交換する以外に用途がない」ということ。

例えば日本円では金属製の硬貨と人物写真が印刷された紙幣が使われていますが、このどちらも「それそのもの」に価値はありません

硬貨だって一応金属なので溶かせば価値は生まれるかもしれません(違法なのでやらないように!!)が、それにしてはあまりに量が少なく、何かをつくることはできないでしょう。

紙なんてもってのほかで、こんなもの「お金です」というシルシがなければお尻も拭けない、無益な物質に過ぎない。小さいのでう○ちが手についちゃいますね。

でも、それでいい、それだからいい

貨幣自体に価値があると…例えば食べ物でできていると、みんながそれを(飢餓の時のために)蓄えてしまう。お金が流通しなくなってしまいます。

また、普通の国はお金を自国で刷ってその信頼性を一定に保とうとしますが、お金自体が食べられるものでできていると、管理も大変になります。

よく使用される、桁の小さい単位が硬貨でできているのはまさにそのためです。硬いのですり減ることがないんですね。

ハイパーインフレになった国や戦争捕虜収容所ではタバコという、これまた食べられないものが貨幣の代わりになったりしています。

実はこの性質はお金だけではなく、もっと原始的な共同体でも見られます。

例えば太平洋に浮かぶ島々の集落では「クラ交換」といって、貝殻やクジラの歯などの首飾りを右隣の集落に(わざわざ危険な目にあってまで)届けに行き、逆に左隣の集落から受け取るようなことが行われています。

これはお金とは違いますが「いつもウチがお世話になってます」という『気持ち』を交換する風習で、やはり交換されるモノ自体は無価値です。無価値だからこそ交換できる。

こう考えると、お金が紙でできている理由も納得ですね。紙だからこそ貨幣になりうるのです。

この本質に気付いた人類、賢すぎる。

お金が価値を持つ理由

というわけで、お金が価値を持つのは「それ自体が無価値であり、交換でき、手間を減らせるから」ということがわかりました。

このような危うい神話(お金が価値を持つという神話)の上に現代社会は成り立っています。興味深いですね。

お金についてはこちらでも考察しています。遠足のおやつは300円まで、という命題から、お金と我々はどう付き合えばよいのか考えています。

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