謎解きやクイズ、難読漢字に詳しい人が「頭がいい」とされる理由を考察した

世界史
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クイズや謎解き強者が「頭がいい」のはなぜ?

私は普段から、知識に関する以下のような記事を書いていますが、

こんな偉そうなことを言っているからには、人並み以上の知識があることを自負しています。

例えば、多くの人が知らない雑学まで一通り抑えていますし(「雑学クイズ」なるものを挑まれて、答えられなかったことはほとんどありません)、QuizKnockやカプリティオチャンネルの方々がしている、いわゆる「競技クイズ」の経験もあります。

また、世界の国々の位置とその国旗は全て頭に入っていますし、周期表も全て覚えていますし、世界史も日本史も倫理も地学も地理も一通り高校レベルまで学びました。

ここまでいろんなことを知っていると、「よくそんなの知ってますね~」とおほめの言葉を頂けます。その時、もれなく付随するのが「頭がいい人ってすごいなあ」とか「賢いんですね」。

日常生活レイヤーの会話に大層な意味を見出す意義があるかはともかく、今回は以下のテーマについて考察してみます。

ずばり「役に立たない知識をたくさん知っている人がなぜ『頭がいい』と称されるのか」

よく言うように、知識だけあっても「頭でっかち」になってぜんぜん意味がないのですが、それにもかかわらず多くのことを知る人を私たちは尊敬しますよね。

その理由について、考えてみようというわけです。

前提:役に立たない知識とは何か?

まず、議論を始める前に、そもそも役に立つ知識と役に立たない知識の違いについて考えてみます。これは、この類の議論にありがちな「役に立たないとは何だ!他人が持つ知識に対して敬意がないだろう!」とか「役に立たない知識など、ない!」などのクソリプ反論を防ぐためです。

結論から言うと「絶対的に役に立たない知識はないが、役に立つかどうかの相対的度合いはあり、その度合いが小さい知識のことを『役に立たない知識』と呼ぶ」ことにします。

また知識とは「無から導出できず、常識的に考えて外部から与えられるしかない事柄」であるとします。

例えば、四則演算は間違いなく知識ですよね。日本人の多くが割り算や掛け算をできるのは、小学校のときにそれを習うからです。ついでにいうと、日常生活で使うからでもあります。

一方、アンドラ(フランスとスペインの間にある小国)の国旗はどうでしょうか。確かに知識でしょう。無からアンドラ国旗を思いつくのは不可能ですね。

ちなみに下のような形の国旗です。

では、四則演算とアンドラ国旗のうち、どちらがより「役に立ちやすい」でしょうか?国旗にまつわる生業や趣味を持つのでもなければ、明らかに四則演算のほうが役に立ちやすいでしょう。

かといって、アンドラ国旗が絶対的に役に立たないというわけでもありません。

友人が「アンドラに旅行に行ってきたんだよね~」と話してきたとき、「ああ、あの青・黄色・赤の…」とすかさず言えれば…。友人は驚き、あなたの碩学に敬意を払うでしょう。

とはいえ、アンドラ国旗と四則演算なら、後者に軍配が上がるだろう、という予測を立てられます。

どれぐらいその知識が役に立つかを定量化するのは困難ですが、少なくとも日常生活のレベルにおいて、ある程度相対的な度合いがあることを認められるでしょう。

その前提において、アンドラ国旗みたいな「相対的に役に立たない知識」を多く知っている人がなぜ、「博学」「賢い」「頭がいい」などと言われ、テレビに出るほどもてはやされるのか。

私はその理由が、本質的にはたった一つしかないと考えました。その理由とは「人間は暇だが、忙しいから」

QuizKnock、東大王…知識を競うコンテンツの台頭

順を追って説明します。現代日本のテレビ業界において、博識さを競うコンテンツの人気は激化し、東大卒の人達が立ち上げた「QuizKnock」などのクイズ動画が視聴数を伸ばしています。

また、一般人が出場して超マニアックな知識を競う「99人の壁」や、東大生と芸能人による「東大王」も記憶に新しいですね。

競技クイズにかかわってきた人間からすると、ここまでクイズが一般人に広まった時代をいまだに信じられません。これは非常に素晴らしいことです。

一昔前でさえ「高校生クイズ」といえば「オタクたちがやってる、なんかすごいやつ」「なんでこんなことまで知ってるのこの人たち?怖すぎる」みたいな扱いで、なんなら馬鹿にさえされていたのに…。

しかし、そのクイズ人気は今に限ったことではありません。たとえばフジテレビが製作した、マニアックな分野で知識を競うクイズ深夜番組「カルトQ」は非常に好評だったようですし、今は終了した「トリビアの泉」も、復活を待ち望まれています。

現代日本において、日常生活ではあまり役に立たない、難解でマニアックな知識を競うコンテンツが人気であることを抑えておきましょう。

なぜ人間は「無駄な知識」を追い求めるのか

さらに主語を大きくします。難しい知識を追い求めるという性質は現代日本に限った話ではなく、時代や場所を超えてある程度普遍的なのではないか、という話です。

アメリカには「スペリング・ビー」という全国レベルのコンテストがあります。

これは、日本の難読漢字にあたる超・マニアックな単語のつづりを、発音や語源、意味をヒントにして、参加者が読み上げていくというものです。

当然、これらの単語は日常生活にはほとんど出てきません。役に立たない知識です。にもかかわらず、それらを知っていると尊敬されます。私は”squadron”(軍隊なんかの大隊)という単語を知っていたおかげで、英会話の先生をびっくりさせたことがあります。

また私の知人の中国人留学生によれば、数万あるとされる中国語の漢字でも、日常的に使用するものはごくわずか、とのこと(5000も知っていればネイティブなみに読み書きができる)。しかし、大量のマニアックな漢字を知っている人はそれだけで一目置かれます。

留学生たちの会話の中で「ボウフラ」という単語が出てきました。漢字では「孑孑」と書くのですが、その単語の発音を知っていた留学生Aくんは、周りからめちゃくちゃ驚かれていました。また、漢詩や四書五経をすらすら引用できる人も、教養があるということで尊敬されるようです。

今度は時代を飛ばします。古代日本において、文字が書ける人間は非常に貴重でした。

特に、言語を格調高く正しく扱える能力は重宝され、日本最古の歴史書である「古事記」を編纂した太安万侶(おおの やすまろ)は、稗田阿礼(ひえだのあれ)の頭脳にあった莫大な知識を無駄にせぬよう、彼に暗誦してもらい、それを正しく文字に起こしていったと伝えられます。

逆にいえば、文字が書けない人間のほうが多かったわけで、農民たちは文字が書けなくても全く困らなかったのでしょう。そういった時代において、農民が大事にしていたのは農作業に関する知識や知恵だったと考えられます。

他にも例はあげられますが、何にせよ共通しているのは、マニアックな知識を知っていることが「教養」とか「洗練されている」というお墨付きを与える…ということです。これは一見矛盾しているようで、非常に興味深い特徴だと思います。

暇な人間だけが知識を蓄えられる

「人類は暇だが、忙しいから」という矛盾した答えにたどり着いたのは、実は上記のことがきっかけでした。この答えの真意を、かっこ書きを入れて補足することで説明します。

「人類は(新しい知識を得たい欲求を持てるほどには)暇だが、(そんなことをしている時間がないぐらいには)忙しいから」

地球上の生物では人間だけが、言語によって知識を他者に伝え、受け継ぎます。一部の鳥類(ジュウシマツなど)が文法を持つ一種の言語を話すという話は聞きますが、彼らとて子孫に情報を受け継ぐわけではありません。

何かを知り、知識として蓄えることに欲求を抱き、それを満たそうと行動するのもまた人間だけです。動物は一般にそこまで暇ではありません。人間だけが暇を持て余して、知的好奇心に任せた行動をし、得た知識を伝えていくのです。

ところが、普段から万事に興味を持ち、普通の人が使わないようなことにまで知悉している人種といえば、これまた限られてきます。それが貴族、王族、天皇、武士、官僚のような、高貴な身分だけでした。農民はどこでもいつの時代も、自分が食べるぶんを作るだけで精一杯でした。

そうなると、大多数の貧しい人間と、ごく少数の豊かな人間との間に、知識の格差が生まれます。この格差は以下の理由によって再生産されます。すなわち、富裕層が知識を独占することで、自分たちの地位を安泰にしたいという理由です。

知識の独占は、大昔では言語の独占と同じでした。文字を読み書きする能力は特殊であり、それゆえに支配者層は文字を神聖なものとし、日常で軽々しく扱ってはならぬと定めました。そうしておけば既得権益が守られるからです。

今でも(神聖性はともかくとして)その種の独占が見られます。けっこうステータスの高い知人…の息子はイギリスの高校を出て、アメリカの大学に進学しました。英語もイチからということで現地の言語学校に入り浸ったそうです。

当然、それらの金銭はその知人が全て出しました。息子はお金によって英語という知識、武器を手に入れたわけです(もちろん、向こうで多大な苦労があったこととは思いますが、そのへんの家庭には海外渡航という選択肢さえ与えられていませんね)。

現代人も多忙なので、知識を得ている人間を尊敬する

人間は動物よりも暇なので「新しいことを知りたい」という、動物から見るとある種しょーもない欲求を抱きます。しかし、マニアックな知識を広く集められるのは一部の富裕層だけです。

成り上がるために勉強が必要だと多くの人が思いながらも、疲れ果てて帰宅して何もできずに寝てしまいます。農民も現代人も同じ。そんな中で勉強を続けられるのは富裕層とその子どもか、あるいは本当の暇人か。

マニアックで多大な知識があること自体には何の意味もないのですが、人々が勝手に意味づけをしていきます。

「あの人東大生らしいよ、だからあんなにいろいろ知ってるんだ」とか「あの人の親は医者らしい、いい教育を受けたんだろうなあ」とか「立ち振る舞いが本当に上品で、誰も不快にさせないよね」とか。

答えが見えてきました。なぜクイズ、謎解き、難読漢字、国旗…などに強い人間が「頭がいい」とされるのか。なぜ役に立たない知識を覚えることが頭の良さと関連すると信じられているのか。

因果は逆だったのです。役に立たない知識を覚えられる人間に、庶民が「余力がある」「金持ち」「洗練されている」などのレッテルを貼ってしまうからなのです。

その点で昔も今も、本質は何も変わりません。

働くということは、行きたくもない飲み会で精神をすり減らし、肝臓に脂肪を蓄え、表情筋を引きつらせ、パワハラやセクハラに耐え忍ぶことと同じです。平日の夜は次の平日が来るまでのタイムリミットでしかなく、できる勉強は限られています。

そんな中で国旗や国名を誰が覚えるでしょうか?難読漢字を誰が知ろうとするでしょうか?役にも立たないのに(私はその珍しいほうの人種だったようですが)。

しかし、役に立たないからこそ、それらの知識が一種の権威として働くわけです。なぜなら我々は暇であり、そして忙しいから。

実際に余力があるかどうかはともかく、知っているということだけでそうみなされるわけです。

というわけで長くなりましたが、まとめます。

役に立たない知識を覚えている人が「賢い」とされる理由

役に立たない知識を覚えている人が「賢い」と言われるのは、その知識が役に立たないからである。人は忙しく、役に立たない知識を覚える時間がないので、トリビアに詳しい人間を尊敬する。

考えてみると不思議な話ですよね。役に立たないもののほうがいい、って。無用の長物というかなんというか。「貨幣自体が有用になるとみんながため込むので、貨幣自体は無意味にすべきだ」みたいな話に似てますね。

みなさんもこれを機に、役に立たない知識、覚えましょう!なんか勝手に有能扱いされるので楽ですよ。

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