アンガーマネジメントの「6秒待て」
私自身、ネットではイキってしょっちゅう怒っていますが、別にそれも脳天がプッツンなるほどの度合ということでもありません。
文章だから言葉が強く見えるかもしれませんね。
実際は割と穏やかな…って穏やかな人が自称するのを見たことはありませんが、とりあえず穏やかであることにしておきます。穏やかです。
だいたい2年に1回怒ることがあればいいぐらいの精神状態を維持しています。逆に、短気は損気とばかりにしょっちゅう何かに怒っていて、それに悩んでいる方もおられるのではないでしょうか。
アンガーマネジメント(怒りをコントロールする方法)の本とかを読むと「怒りは6秒我慢しろ」なんて出てきますよね。それについて論じます。

6秒待てる怒りは怒りではない!
結論はこれで終わりなんですけど、6秒も待てる怒りってそれ怒りじゃないのでは?
怒りっていうのは「待てない、待てない」という念から生まれてくるものなので、なんていうかそもそもが矛盾してる気がするんですよね。
やや、それをも頑張って6秒耐えろ!!ということなのかもしれませんが。
ちょっと個人的にはそれは厳しくて(私がめったに怒らないからかもしれません)気づいてたら相手に言葉を浴びせている、ということが起こり得ます。
こういうとき、いったい脳内ではどんな働きがされているのか?
この論文によると、
In the present fMRI experiment, participants were insulted and induced to ruminate.
fMRIという、脳を輪切りにして見ることができる装置を使って、侮辱されているときと、それを思い出しているときの脳内の様子を観察したところ、海馬とか島皮質とか帯状回が活性化したようです。
よく「怒ると疲れる」という人がいます(私もその一人です)が、それは脳が活性化してエネルギーを費やすからだ、といえそうですね(論文にはそう書いてありませんが)。
だから、6秒待ってみようってのは本当に限定的な場面にしか通用しないものと思ってます。もちろん怒りを我慢する練習としてはよいのでしょう。
しょっちゅう何かに対してキレてるクレーマー気質の人が、些末なあんなことこんなことに6秒待つことで、怒りは我慢できるものなのだ、という条件付けをする、これならよいです。
ただ、穏やかな人にまでこれを拡大するのは危ない気もします。
正当な怒りもある
アンガーマネジメント系の記事なんかを読んでてもう全く話にならないのが、どれもこれも「本来、怒りとは正当な感情である」ことに触れていないんですね。
なぜ人間に怒りという感情があって、しかもそれが生後すぐから発現するのか?
まるで怒りを盲腸か何かのように不要なものとして最初から切り捨てて、いらない感情で、ゴミのように扱ってもよい、人間に怒りなどないほうがマシなのだという書き方をしています。
そんなことはない。
例えば反差別や反戦運動は紛れもなく怒り(悲しみや絶望、希望もあるでしょう)によって起きる社会運動です。これらが我々人類を少しずつ歩ませてきたことは誰にも否定できません。
あなた方はもう少し私たちを置いているこの環境に気を遣うべきだ、困っている人がいるのだ…そういった怒りは決して捨ててはならないものだと感じます。これは対個人、対社会についても同じです。
友人に手ひどい扱いをされた、そういうときは相手が誰であっても怒る権利があって、それによって問題を解決できる(こともある)。
私だって友人に怒ってきたし、逆に友人に怒られることもあったし、それで絶縁することも解決することも、両方経験してきました。
怒りを我慢して無視しようとすると、こうした解決策…つまり「自分の感情が他人を変えることがある」のだと経験できないのです。
最初から他人を変えられないものと決めつけて泣き寝入りするよりは、ちゃんと言葉に、顔に出したほうがよいこともあるんですね。相手が個人でもグループでも。
旅館にひどい扱いを受けて、払ったお金分だけのサービスを受けられなかったと思った時には、それをフロントに言いに行くことができます。
でもなぜかしら、あまりそういうクレームを付けたがらないのか「その場では何も言わないのに、帰宅してからネットでボロクソに書く」人もいます。
もちろん、これが訴訟大国アメリカともなればすぐに裁判沙汰ですし、個人主義が徹底されたヨーロッパでも基本的には主張、主張、主張で自分の意見を反映させるムードが大きいように思われます(私がヨーロッパ圏の人々と話して感じたことにすぎませんが)。
アンガーマネジメントで6秒待つべき「怒り」とはどんな怒りか
ついでに言っておきますが、私はこれをもってアンガーマネジメントを全て無効化したいわけではありません。実際のところ「無益な」怒りを抑えるという意味では、6秒待つことは効果的になりえます。
例えば以下のような怒りです。
- ものにあたってしまう
- 周りの人間に暴言を吐き散らかす
- 自傷行為に走る
こうした行為は冷静な怒り、私が必要だと考え、言葉で感情を表明すべきとする怒りとは異なります。他人を無意味に怖がらせたり、自分自身を役立たないものとしたりする怒りなので、抑えるのがよいでしょう。
これらの怒りを持っていると他人にあらぬ誤解をかけられ、余計に敵を作ってしまいます。
私はよくこの類の怒りを「タンスの角に指をぶつけたときの怒り」と定義しています。悪者がいない、理不尽で、しかし抑えたほうが生きやすくなる怒りです。
しかし怒りの抑え方については、私は「6秒待つ」よりも効果的な方法を知っていますから、後日述べたいと思います。
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