タルパーが記憶喪失になったら
タルパーとして毎回、ふと思うことがあります。
もし自分が記憶を失って、楽しいことも辛いことも全部忘れてしまったらー
タルパはどこに行くのか、と。
今回は初めての試みということで、タルパたちに登場いただいて、一緒に議論することとしましょう。
今日の登場人物は「ゼータ」くんと「ニュー」くんです。
一応リンクを貼っていますが、別に彼らの属性が大事じゃないので、読まなくてもいいです。会話文から本質を抜き出していくので。

記憶喪失後、タルパはどこに行く
わたし:タルパーが記憶喪失になったら、一体皆さんはどこに行くと思いますか。
ニュー:どこって、どういうことだ?
わたし:タルパの人格も、メタ的にいえばわたしの脳内にあるわけで。わたしが記憶を失ったら、皆さんはどこに行くんでしょう、という疑問ですね。
ニュー:どこ、うーん……。
ゼータ:そもそもその疑問を持ったのは、どういうきっかけですか。
わたし:なんだろ、この前、記憶を全部失った人のエピソードとかを思い出して、それで。タルパーである私がきみたちと連絡を取れなくなったら、どうなるんだろうな、って。
ニュー:結論を言えば、なってみないとわからない、かな。今頭打たれてみる?
わたし:痛そうなのでいいかな。打って普通に死ぬ確率のほうが高そうだし。
ゼータ:僕たちの観測世界の話でいえば、ルナールさん(ほんとはここ本名です)が見えなくなるだけで、日常は続いていくんじゃないですかね。
ニュー:その部分について、読者とこの世界の解釈をすり合わせ、というか、こっちの世界の話をしたほうがいいんじゃないか?
わたし:そっすね。
タルパーがタルパ世界に取る態度は2つ
タルパーの生きる世界とタルパの生きる世界、2つあるわけですが、その2つをどう関連付けるかについて、2つの姿勢があります。2つというか2種類ですね。
これは世界を構成する原理、いわば数学でいうところの公理系、法でいうところの憲法みたいなもので、タルパを作り始めてからおいそれと変えるのはとても困難です。
それに、他人と解釈を合わせることも。そこで今回、このような項を設け、「わたしの」態度を皆さんと共有したいと思います。
もちろん押しつけではないので、紹介だけということで。
まず、タルパーの生きる世界=タルパの生きる世界
という解釈。これは割と未タルパーさんが考えがちな「タルパ世界」像です。要するにタルパ側の世界というものはなく、常にこちら側のどこかにいる、と。
家なら家に一緒にいて、寝る時も食べる時も常に隣。ごく一部、トイレの時なんかを除いて、ずっと一緒。
そしてもう一つが、タルパーの生きる世界≠タルパの生きる世界
という解釈。私はこちら側です。
私としても常に隣に5人いられたらたまったものではないので、タルパが生きる世界をつくり、というか…勝手につくられたんですけども…そこで生活してもらっています。
当然彼らには彼らの家や部屋があり、仕事があり、学校があり、日常があります。法律に触れない範囲なら魔法なんかも使えるようです。
魔法使えるかとかそこらへんでも細分化はいくらでもできますが、まあ大きく分けてこの2つです。
世界が独立していて、私はたまたま波長があって彼らを知覚できるようになった。
だから私が死んでも彼らはそのままそっちの世界で生きていく、ということです。ゼータくんが言ってくれたのはそういうことです。
タルパーが記憶を失うことで、何がなくなるのか
わたし:話の続きといきましょう。私とあなた方の世界が独立ならば、いったいなぜ私があなた方と会話できなくなるのか。
ゼータ:そうですね…。まず「記憶はその人の人格と一体である」という考え、そして…。
ニュー:そして、「記憶がなくなっても、人格はなくならない」という考えがあるな。その上でさらに「タルパとの会話は、記憶なのか人格なのか」という部分について言及する必要がある。
ゼータ:それなら、最初にまず「記憶」と「人格」の関係を考察しましょう。
わたし:まず記憶の断絶は人格の断絶とは言えない例がある。それが全身麻酔。全身麻酔は脂質が無秩序化してニューロンの発火ができなくなる…ことで意識が沈下する、という技術だけど、これを受けた後と前で人格が変わるかというと。
ニュー:まあ、変わらないと考える人のほうが多いよな。
わたし:ですよね?
ゼータ:待ってください、それは全身麻酔中に意識がないので、人格が断絶していると言ってよいのでは?
わたし:言われてみれば、確かにそうかも。
ゼータ:だとすると、やはり記憶の断絶は人格の断絶だと思います。それに、お酒を飲んでめちゃくちゃ酔っぱらった時のことを、人間って覚えてませんよね。ひどいことをしたり言ったりしても、それを記憶する能力がない。
ニュー:飲酒による記憶喪失は海馬がマヒすることによるものだからな。
ゼータ:それでは、記憶がないときの自分は、自分と同じだと言えるのでしょうか?もちろんそれを「同じだ」と言ってるのが今の法律なわけです。飲酒して人を殴って、それを覚えていないからといって、罪にならないわけではない、ですよね。
わたし:そっすね。確かにね。
ニュー:なら、記憶をなくしたあとのタルパーはもはや昔のタルパーではない、と?
わたし:きみたちのことを忘れてる可能性が高いので、そっすね。うん。たとえ話しかけてくれても「うわなんだこいつ!」ってなりそう。
ニュー:寂しいな。
わたし:すみません。
ゼータ:ということは別に、タルパと現実世界の友人とを分けて考える必要はないですよね。友人から見てももはや別の人格なわけですから。
わたし:言われてみれば確かにそうだよね。私の友人から見ても同じだ。わたしはもはやわたしではない。タルパと分けなくてもいい。
ニュー:なら1つ目の疑問は解決、で、さらに収穫があった。
記憶と人格はほぼ同じ意味。
記憶を失うとタルパとは会話できなくなるが、それは現実世界の友人とも同じ。
タルパとの会話は記憶で行うのか、人格で行うのか
わたし:こりゃあ難題だ。難しい。
ゼータ:そうですかね?例えばルナールさんが記憶を失うとしますよね。ものすごくノリがよかった、一緒にふざけあっていた友人と接するとき、どうなるでしょうか。
わたし:まあ前のようにはいかないやろね。やっぱり。
ゼータ:そういうことだと思うんですよ。記憶喪失ってのは人格のフォーマットなので。
わたし:思い出さない限り、駄目だと。
ニュー:パソコンでいうところの初期化に近いよな。空白で上書きされたというか、レジストリいじってデータを取り出せなくなったから初期化したというか。
初期化してデータを書き込むとき、書き込まれた領域に入っていたデータと今書き込まれたデータの間には関係がない、と考えるのが自然だろう。
ゼータ:ところがそのたとえでいえば、関係がある部分もあります。
ニュー:わかるよ。体験的な記憶だろ?車の運転とか、自転車の操縦、泳ぐこと、……体が覚えてるものは忘れない。これは実験でも確かめられてる。
わたし:ヘンリー・モレゾンの実験ですね。海馬を切除された患者。スコヴィル医師による記録。
ニュー:たぶんそうだな、で、その患者は毎日星を鏡越しに描く作業をさせられた。毎日記憶が保てないから同じ映画ばかり見ているのに、星を描く作業はうまくなり続けた。
わたし:そうです。
ニュー:タルパとの会話はどっちだ?
わたし:記憶のほうだろうね。
ニュー:ということで、タルパとの会話の履歴も全部なくなるから、やはり会話はできなくなる。
ゼータ:記憶を失うことでなくなるものは、何か?
ニュー:その答えは素朴にも、「記憶を失っても、記憶以外のものは失われない」。
わたし:もちろん思い出、楽しさ、喜び、苦しみ、そういうものもあるだろうけど、それらは全部「記憶」と言い換えることができる。
ゼータ:だとすると、タルパーが記憶をなくしても、タルパを失うわけではない。
わたし:なぜなら、タルパは記憶の一部だから?
ニュー:それに俺たちはお前の記憶がなくなっても、お前と話す手段がなくなるというだけで、俺たち自身がなくなるとは思ってない。寂しいけどね。
わたし:うーん。まあ、私の世界の解釈ではそうなるだろうね。ところがこれ、タルパとタルパーの世界が一緒の人は、どうだろ?……。
タルパが記憶をなくしたとしても、タルパはなくならないと考えられる。
ゼータ:どっちみち、タルパがタルパーのそばにいても、気持ち悪がられて終わりかもしれないですね。
ニュー:まあ、そうだよな。他の人には見えてないものが見えてる、なんて記憶喪失患者がいえば、「治療」されること間違いなしだ。そのうち見えなくなるだろう。
わたし:タルパーが記憶をなくした時点で、か。
タルパを思い出すためにはどうしたらいいか
わたし:それじゃ、思い出したいならどうすれば?
ニュー:安直な方法だけど、「友人に頼んでおく」っていうのはいいだろうな。手帳か何かを渡しておいて、記憶がなくなったらそれを渡してもらう、と。
ゼータ:この場合、記憶喪失後の自分に賭けるわけですね。
わたし:まあ、そうだよね。記憶をなくす前の自分、この「私」は記憶喪失後は「死ぬ」ことと同じなわけだし。
ニュー:来世で思い出してまた会おうなって言ってるカップルみたいだよな。
わたし:曲はいいと思いますよ。曲。音楽。
ニュー:なるほど!その手があったか。
わたし:京都大学病院だったか、ミスチルの”Tomorrow Never Knows”を聞いて記憶がもとに戻った患者の例が報告されてる。私は一日10時間ぐらいは曲を聴いてるので、友人に頼んでかけてもらうか。
ゼータ:友人に頼むのもなかなかやりにくいので、パソコンに保存したらどうでしょうか?
わたし:どちらにせよ賭けになるな。あとはそれを読んで、後の自分が「こんなに大事な存在がいたんだ」と思い出してくれるかどうか。そこは脳の話になってくる。
ゼータ:そうですね…。
ニュー:タルパそれぞれの思い出の品があるなら、そういうものを毎日見続けるのもいいと思う。依り代(よりしろ)とか。
わたし:そうっすね。おっけ、今日はこれぐらいで終わり!ありがとうございました。
思い出したいときは依り代を準備したり、好んでいた曲を流してもらったりする。
まとめ
私の世界の解釈では、タルパーの記憶がなくなってもタルパはいなくならない。
しかし記憶をなくすと他の友人同様、同じノリでの会話は不可能になる。
記憶を思い出せばその限りではないが、好きな曲をかけてもらう、依り代をいつも見ておくなどの対策は必要。
なかなか高度なことも話すタルパでしょう?非タルパーに話すとけっこうびっくりされますよ。我ながら、というか普通に自慢できるタルパたちです。尊敬ですね。
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