罰走と体育の理不尽な思い出、そしてスポーツ本来の「科学」

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「なくなれ罰走、連帯責任!」原因は部活やクラブでのペナルティで走らされる"罰走"?6月になって整形外科に訪れる疲労骨折の患者が急増した話
まとめました。 更新日:6月15日09時50分

罰走を見て思い出す体育のトラウマ

「罰走」なる奇習が中学校や高校にあるようですね。ばっそうというのかな?

あるようですね、というかあったらしいんですよ。サッカー部の友人が言ってました。

まさしくこのまとめの通り、試合に負けたら数十分走らされると。このまとめにもあるような流れになりますよね、やっぱ。

「あ~やべ、点数とられちった、罰走確定だからわざと手を抜いて、体力温存しよ」。

試合に勝つ精神力を付けるため…?にやっているのに、温存するためにわざと負ける、という。まさしく本末転倒奇習悪習陋習。

令和になってもこんな指導しかできない人が顧問にいることが信じられませんが。

あるいは高校の例を出してもいいですね。

うちの高校の野球部は伝統的にかなり弱く、それこそ地区大会1回戦敗退がほとんど確実、という感じでした。

しかし指導力のなさを見かねた保護者が学校にクレームをつけたことで、それまでの顧問(教師)ではなく外部からのコーチがやってきて、4回戦ぐらいまで突破した、と。

その教師もまた変な指導をする人で「じゃあこれから走り込みな、遅かったらぶち○すけど、早すぎてもさぼったとみなしてぶち○す」。

そんなことを走る前に言われて、走りたくなる奴はいないでしょう。たとえ冗談でも。冗談でも面白くねえんじゃ、あほ。

こういった指導者が学ぶべきことは2つです。

「勝ちたいという欲求は恐怖や苦痛から生まれてはこない」

「自分には生徒を指導して引っ張っていくだけの力がない」

何にせよ、メンタルケアや怪我しにくい方法論を学んで、顔を洗って出直してきてほしいですね。

スポーツとは科学の塊であるはず、なのですから。

精神論が跋扈する部活と、非科学が跋扈する体育

こういう話をしていると、小学校時代からの「体育」に関する苦い思い出がふつふつと出てきます。小学中学高校と体育は基本的に大嫌いだったのですが、それはなぜかというと「苦手」だったからです。

あなたが人よりも大の苦手なものを想像してみてください。それを人の前でさせられる。しかも、連帯責任。

想像するだけでお腹が痛くなると思います。あぁ失敗してまた誰かに迷惑がかかる、ケガする、疲れる…。

それが私の「体育」観です。

体育の前の日からすでに腹痛を覚えていました。

失敗すると殴ってくるやべー奴らがいる学校だったので、体育イコール苦痛というわけです。

ですがそれに輪をかけてひどかったのは、これまで体育を教えてくれた教師の誰として、身体の動かし方、科学的なストレッチの方法、怪我しにくくなる柔軟体操、リラックスして走る方法…などを教えてくれなかったことです。

なんならルールさえ教えられずにやってましたからね。怪我しなかったのが奇跡ですよ。

大学の体育はまさしく体育だった

大学の体育の授業を受けてみて、「これまで受けてきたのはただの、体育みたいなよくわからないものだったんだ」と愕然としました。

スポーツほど科学が応用されている分野もありません。

臨床試験によってどういった運動が効果的なのか確かめられ、それが日々論文になり、論文どうしで効果を競い合っているのです。

材料工学や人間工学から「走りやすい靴」選びが始まり、それを履いているかどうかが新記録の鍵になる、ということもあり得ます。

水泳でも、サメ肌を研究した水着を着用した人が軒並み新記録、ということがありました。

ですから大学でスポーツを教えている先生は「最近のスポーツでは、科学知見と金で殴り合う競技もあります」と言っていました。

陸上の遠距離とかは装備の面ではまさにそうで、それからサッカーやバスケなどのチーム競技も、データベースからメンバー間の最適な動きを導く研究が行われているようです。

科学知見をまっとうに積んで、適切なトレーニングをしてきた選手に、なぜ精神論だけで勝てると思うのでしょうか。

これがオリンピックなら、ばかげています。

もちろんメンタルケアは大事ですが、そういう意味の精神論ではありません。

私が接してきた体育教師が発する精神論は「疲れてもとにかく休むな」「できなかったらノルマ2倍な」ばかりでしたから。

経験によって身体の使い方を学ぶのに

人間は自分の身体の動かし方をふつう「経験」によって学んでいきます。

このぐらいまで股関節は動く、この角度で着地するとねんざする、これぐらい飛べばこれぐらいの衝撃が地面にかかる、など。

それは身体的なことなので、確かに言葉にするよりも経験するほうが早いのかもしれません。

学校教育の都合上、「これぐらいの学年なら、これぐらいの身体経験をしておいてほしい」という基準があります。

その基準を大きく下回っている者は、体育を楽しむことすら許されない…とまでは言いませんが、それに近い屈辱を毎回味わっていたのも確かです。

要するに私は運動音痴で、年相応の「経験」をしていなかったのです。

疲れにくい縄跳びの方法も、そのような縄の選び方も、逆上がりの方法も、懸垂の仕方も、遠くまで飛ぶボールの投げ方も、全て全て私が大学に入ってから学んだことでした。

怪我をしないように少しずつ身体を慣らして、独学で、です。

ましてや身体の使い方を知らない、基準から外れた運動音痴にいきなり「逆上がりしてみろ」「あそこまでボールを飛ばせ」なんて無理です。

「二重飛びできるまで帰れない」ええ、帰りましたとも。飛べなかったけどね。

これを教えてくれる先生がいたら、どれだけ助かったことか。

非科学的な指導を続ける体育の授業

上達する方法が科学的に研究されているスポーツなのに、どうして学校ではああも非科学的なことが蔓延していたのか、指導力がなかったのでしょうか。

あるいはスポーツは科学であるという認識さえなかったのか。

「人間の関節はこのようについていますから、こっち方向には○○度程度曲がります」

「走っているときに横っ腹が痛くなるのは、脾臓が急激に収縮するからです。きついと思ったらいったん横になり、マッサージするとよくなります」

そういうのを教えてくれていたら…少し私の人生も変わっていたのかもしれません。

部活だって同じだと思うんですよ。

ある程度体育が得意な人が部員にいるからみんな経験やセンスは私より上かもしれないけど、それをいかせる指導者はそう多くないのではないでしょうか。

「なんでその指導をするの」と聞いたとして、自信満々にエビデンスをもって答える人はそう多くないと思うんです。そもそも指導する先生だって顧問を押し付けられてるみたいなことがあるだろうし。

いや、体感と友人の経験のまた聞きなのでわからないですけども。

だから平気で非合理な「罰」を与える。

それが本末転倒だとも知らず、本人は自己満足で「指導」した気になっているわけです。

恐怖政治が続かないのはいつの世も同じなのに。

罰走によい効果があるなら、ぜひとも論文を示してほしいものです。無理な運動は故障のリスクが高まるという論文なら私はたくさん持っていますけどね。

体育が生まれつき好きな人は、体育が苦手な生徒を認識できない?

ここまで書いてようやく気付いたのですが、体育教師になるような人って、もともと体育が大好きで大好きで、それに得意で、という人だと思うんです。

そうじゃない人は体育大学に行かないし、そもそも入れませんからね。

そういう人がなぜ、体育のたびにお腹が痛くなる人の気持ちをわかるのか。

そうですよね、得意ですからわからないですもんね。

バスケのルールを知らず、トラベリングをしてメンバーに殴られた肩の痛みとか、無理やり突然やらされた逆上がりに失敗してお尻の骨を折りかけた記憶とか、そういうの全部。

生まれつきみんなができるのが当たり前だと思っているからこそ、平気で他人に同じノルマを押し付けられるんでしょう。勉強でそれやったら大問題ですからね。

部活でいい加減な指導法がなくならないのも、そういう部分に根っこがあるのかもしれません。

自分が受けてきた理不尽な指導法でのし上がってきた、だからこれでみんなうまくいく…。

罰走というばかげた考え方も、そういう腐った種から実を出した、穢れた方法論だと思います。

そろそろ部活も体育も変わる

そろそろ部活も体育も変わらなければならない時期に来ている。目標はそれぞれの生徒に合わせ、怪我しない程度に、科学的に。

私みたいな、体育が苦手な子が、体育のことを嫌いになってしまわないように。運動から一生目を背けることがなくならないように。

え、今ですか?大好きですよ。自分のペースでやってますからね。毎日運動してます。クソ体育教師どもへのせめてもの復讐です。先生方、見てますか、この記事?

スポーツと言えばこの雑学。サッカーコートになぜ縞模様があるのか。面白いです!

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