自己肯定感が高い人がいう「自己肯定感」

自分は天才だとか魅力的とか思えないし自分の長所は?って言われてもあんまり思いつかないけど
それでも自分のこと結構好きなんだよな
自分は最高!とか毎日楽しい!とか大好き!とかすごい!とか超偉い!とかそこまでの感じじゃないんだけど私は私のこと「結構好き」で「そんなに嫌いじゃない」んだよ
自分のことめちゃくちゃ好きでもないがめちゃくちゃ嫌いでもないよ
これからも仲良くしていきたいなー自分と
私の知人にもこういう人がいるのでよくわかります。
その人も「自分にもダメなところはいっぱいあるけど、そういうのも含めて好き」と言っていて、なるほどなぁと思いました。その境地に達したい。
それでは私はどうかというと、好きだと思う部分も嫌いだと思う部分も混ぜこぜで、それがまあ自分だな、強烈だなと思えているので、肯定感はあるのかもしれません。
私の中には架空の他人の人格が複数いて、その人達があまりに素晴らしいものだから「もしかしてこんな人達が頭の中にいるワタシってすごいのでは?」と思ってしまいます。
一般人と同じような価値基準を当てはめられるはずもありません。
一方、自己肯定感が低いと主張する友人もいます。
自己嫌悪がすごくて、精神状態は本当にヤバかったらしいです。
その気持ちもわかります。
嫌いな時は本当に消え入りたくなるし、だいたいからして私は両性愛者(同性愛が8の割合)なので、いわば普通の人が感じる異性への性的興奮などを味わえるはずもなく、
「もしかしてこんなことにしか興奮しないなんてワタシってヤバいのでは?」と思ってしまいます。
やはり一般人と(略)

自己肯定感を支配するのは大脳でしかない
「普通の」がいないと認めるにしても、みんなが一体どのように自分という存在と折り合いをつけているのかすごく気になります。
私よりも深くものごとを考えていない(と本人が言っていた)人は「そんなお前みたいに色々深いこと考えてないから俺は俺のこと好きだわ」と言っていて、そういうものかなぁと思ったりしました。
思考するかどうかの違いなのだろうか?と聞かれると違う気もします。
深く考えてるように見える人の中にも自分を好きな人はやっぱりいるようで。
結局これって「大脳の生理学的反応に過ぎないのでは」と思うようになりました。
お腹が痛くなりやすいとか、生理が他人より重いとかそういうレベルの話。
上の記事に書いたことではあります。
例えば、男性なら性的絶頂に至った直後の「賢○モード」なる状態を経験するでしょう。それ自体は男性がコントロールできるものではありません。なぜなら大脳生理学の反応だからです。
では、○者モードになる前と後、本当の自分はどっちなんでしょうか?
難しい話ですよね。でも一つわかることがあります。どっちが本当の自分だとしようが結局「大脳に分泌されるホルモンが心を制御している」のは確かなのです。
幸福度について研究でわかっているのは「幸せホルモンが分泌されやすい人は幸せを感じやすい」という当たり前のこと。
そしてホルモンの出やすさには個人差があります。環境もありますが、おもに遺伝によって出やすいかどうか決まります。
じゃあ自己肯定感が元々低い人はずっと自分のことを好きになれないのか?
私は、半分はそうだと思っています。
「不幸な」難病にかかっても幸福に生きている人もいるし、資産家で体が健康でも不幸な人はいる。例外がある以上、大脳が全てを物語るとは思いません。
しかし、生まれもった特性で、幸せに感じやすいかどうかは絶対にあると思っています。
自己肯定感を強者が語ること
この帰結が意味するのは
「自己肯定感が低いのは自分の責任だよ!」は強者が弱者を殴りつけるための正論でしかない、ということ。
要するに「お前が成功しないのはお前が甘えているからだ」という、よくあるタイプの正論でしかないのです。
大脳が感情を制御している以上、個人差として怒りっぽいとか感情豊かとか、知能や身体的特徴と同じぐらいの差があってもいいはずです。
なのに心に関してだけ「幸せになれないのはキミのせいだ!」と言うのは筋が通りません。
大富豪が貧乏人に対して「キミが稼げないのはキミの考え方次第だよ!」とか言っちゃうのと同じで、無意味極まりない。
毒親持ちやうつ病患者にもそういうことを言えちゃうすんごい人も一部います。
そして私もその影響を少なからず受けてました。親がポジティブ人間だったから。

の人が押し付けではないにしても、そもそも自己肯定感が低い人はこの言論を読んで「よし!私も自己肯定感を上げるか!」とはなりません、絶対。
自分を認められない人は、自己肯定感が高い人を見ると「この人はすごいよなぁ、それにしても私は…」と感じてますます傷つきます。
だから自己肯定感が低い人は「自己肯定感を上げる方法」を見てもまったく効きません。
例えば「自分のよいところを書き出す」とか残酷もいいところで、自分のよいところがない(と思い込んでいる)からこそ悩んでいます。
そもそも、
自己肯定感を上げる方法とやらをレクチャーするネットの文章自体、自己肯定感の高いキラキラ人間が書いたものにしか見えない
のです。「100億円運用資産家が教える節税法!」ぐらい無意味です。
もっとこう「リスカしまくって100か所に傷があるけどなんとか生きてます」みたいな人が書いたジャンクな方法はないのか?
そんなものはないのよ。あっても上位表示されない。
SEO対策バッチリの企業のWEBページはいつだって、毒にも薬にもならない密度四捨五入0ビットのお役立ち情報を人畜無害な顔して押し付けてくるからタチが悪いですね。
あれを光ファイバーで送受信するのは光ファイバーくんに失礼です。あんな光属性のものを闇属性人間が受け入れられるはずがありません。
自己肯定感「無」の人が話すことにこそ価値がある
つまり私みたいな救いようのない業人(ごうにん)が書く自己肯定感ドーピング方法にこそ価値があるのだと思うし、価値を信じています。
これをすれば全員がとはいきませんが、自称カウンセラーが言う「自分で自分を抱いてみる」みたいな方法より100倍役立つことは明らかでしょう。それは保証します。
端的に言えば「タルパを作ろう!」から始まっちゃいますけどね。
私がこんな人生なのは、珍しい名前であることも理由の一つだと思っています。それについて書いたのがこちら。
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