「無宗教>>1」を攻撃するスレ民に日本での「無宗教」の正しさを見出した

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無宗教と自称する人の話

あ~っ!お客様困ります!主語が大きいという理由でコメントを書かないでください!

宗教問題はとかく荒れがちなので、ちゃんと定義してから望まないとね…

今日の議題はこれ。

カオスちゃんねる : 本当の無宗教なのに「それ仏教だよ」とか言ってくるやつ何なの?

「本当の無宗教なのに『それ仏教だよ』とか言ってくるやつ何なの?」

この>>1は

「同僚、上司、自分の姉の死も含め、葬式に一度も参加したことがない」

「線香をあげたことがない」

「いただきます、ごちそうさまを人生で一度も言ったことがない」

「墓に小便など、普通の人が倫理的にためらうこともできる」

「正月やクリスマスなどは一家で一切やらない」

「黒い服着る時点で気持ち悪い」

「人が何かの宗教じゃないからといって、おかしいと言い出すな!」

「宗教由来のものは全て気持ち悪い」

カオスちゃんねる、こんな変なスレまとめてなかったんだけどなぁ…久々に見たら(コメ欄はともかく)スレッドの劣化が激しいことを実感せざるを得ない…。

宗教の定義問題に終わっている

まず何がよくないかというと、対話が全然成り立ってない

>>1氏が無宗教であると主張することは問題がなく、信仰の自由があれば無信仰?の自由も保障されるんで好きにしてもらっていいんですが、

それに対して「何かを信じればそれは全て宗教だ」と言い出す他の人達の論は、あまりに分が悪すぎます。

なぜなら>>1氏は暗黙の了解として「宗教」という単語を「仏教、キリスト教、イスラム教など、ある程度の人数が集まって同じ信条を共有しているグループ」という意味で使っているからです。

「マッチが燃えることを認めたら宗教」なんてことには一般的になりませんね(いわゆる「定義問題」なので議論はますます不毛です)。

え一般的の定義?「マッチ燃える教」があるかって話なんですよ。ありますか、そんな名前の宗教…?

それから「科学も宗教である。>>1は科学を信じている。よって>>1は宗教を信じている」これも反論としては本当に的外れです。

「科学は宗教」論は宗教を比喩的に用いたものであり、時として西洋中心の論理的思考とやらを揶揄しているだけです。

つまり>>1に「お前は科学という宗教を信じているだろう」とアプローチするのは悪手です。定義問題なのでそこに突っ込んでも有意義な議論はできません。

いくら>>1氏が傲岸不遜で宗教に対して無礼な態度をとっているからと言って比喩的な用語の使い方でもって批判しても進歩はありません。

無宗教は非常識ではない

まずもって>>1氏に対するスレ民の感情的な反応が、>>1の正しさを裏付けてしまっています。

「自分は無宗教だというと、よってたかって全員に攻撃される」という違和感はまっとうなものであり、いかにネットに言論マンが溢れているかを示すものです。

>>1氏が中二病である印象は確かに受けます。

ですが「他人はこう思うけど自分はこうある」と堂々と表明することはある種の痛々しさを必ず伴うものであり、その度合いが人によって異なる、というだけで、

あとは内容が宗教とかなりデリケートであるというだけで特段変なことは言ってませんね。

実際、「みんなはこうだっていうけど俺はこうなんだよな~」って言うと「嘘つけ絶対嘘だぞ」と叩かれて、なんとなく後味悪さを覚えたことは誰にでもあるでしょう。

その一つ一つのエピソードがいちいち異端というだけで、根っこはみんなが共通して持つ「俺だけかなぁ、おかしくないのは」という意識。

その意識を他者の攻撃に使っていることを>>1は気づきませんが、それが攻撃なのか、単なる意見表明なのか、人間は「客観的に」判定できないので、どうでもよいことです。

ところが、「自分はこうあるんだけど」と主張することを認めたくない構成員がいて、そういう人がたまたま言論マンであった場合に悲劇が起きます。

話が全然合いません。合わない。

とにかく合わない。

科学は宗教だ、何か信じてるものが一つでもあれば宗教だ。

さらに「葬式に行ったことがないなんて人生経験が~~」「お前んちどういう家庭環境だよ、おかしいだろ」と他人の事情をあげつらって人格までも否定するのは、全くもって>>1氏が正しいことを示しているように思えてなりません

今風にいえば「そういうとこやぞ!」といった感じでしょうか。

もし>>1の言うことが真実なら、>>1は無宗教である

私の考えですが、もし>>1氏が言ったことが全て「本当」であるのならば、>>1氏は立派に無宗教だと誇っていいと思います。

誇っていいだけで、それをもって宗教を「気持ち悪い」と中傷してしまっているので反感を買いやすいですが…。

私が言いたいのは、>>1氏が暗黙的に定義しているらしいところの「宗教」の「定義」に>>1氏はあてはまっておらず、その「定義」はおおよそ日本人が思っているところの「宗教」と一致しており(前述)

さらに「無宗教の人が勘違いしていそうだとみんなが思っているとよく言われている部分を全て潰して」います。具体的には

  • 無宗教の人ってクリスマスとかお盆は普通に祝ってそう
  • 無宗教の人って墓石蹴れなそう
  • 無宗教の人って葬式には普通に出てそう
  • 無宗教の人って自分の家族の死だけは特別視してそう

などの考え方です。

そしてあらかじめ>>1はこれらについて「自分は当てはまらない」と主張するので、本来なら「はいそうですか、なら無宗教かもですね!」で終わっていい話なのに、言論マンがどうしても彼を無宗教であることを認めたくないようで。

ぶっちゃけ>>1が無宗教だろうが何だろうが別に人生に何の影響もないんですが、そこまでして彼が宗教を信仰していることを認めさせなきゃいけないんですかね?

こうやって見てみるとあまりに分が悪い。

また「倫理観がないとか軽蔑するわ…」という意見も無意味です。

無宗教であることと倫理観があることは矛盾しないので。日本人が「日本って宗教まぜこぜなんだよね」と言って、キリスト教やイスラム教信者に「お前、倫理観ないんだな!」って驚かれる問題と同じですね。

というわけでこの議論、実は>>1が勝ってます。ディベートならね。

じゃあスレ民は何と反論すれば、彼の傲慢な鼻をへし折ることができたのでしょう。それについて考えましょう。

スレ民は何と反論すべきだったのか

まず>>1の言うところの「無宗教」の定義と特徴について誰かが尋ねるべきでした。

この国はヨーロッパやアラブ世界に比べ圧倒的に「宗教を信じている」と公言することのプレッシャーとコストが大きい上、自分は無宗教であると胸を張って言う人も多いでしょう。

当然一神教だとこうはいきません。

彼らにしてみれば人間は神が作り給うた未熟な存在なので、神様の教えあってこそようやくまともに生きられるのであり…。

神は別に信じてないです、と言っただけで、日本人が想像するはるか斜め上の反応が返ってくるのではないでしょうか。

「えっ!?じゃあ良心はどうやって身につけるの?」「倫理観ガバガバで草」などの反応が…。

さてその上で、その「定義」について突っ込むことは多少意味があったのではないでしょうか。

実際スレにも一部そういう人がいて「おぉ、ちゃんと見てるな…」と思いました。

実際、定義をしてその定義の中だけで議論を終えてしまえば、その定義の中だけでは絶対に正しいことを主張できます。

ただしそれは1つの公理系でしか正しさが保証されないですし、その定義自体が定義の正しさを裏付けることは論理的にありえないので(ゲーデルの不完全性定理)そんな議論に意味があるかは疑問です。

ですから、>>1が議論をしたい人なのか、それとも俺定義の中で自分に酔って、「理解されない俺かわいそう、宗教かわいそう」がしたいだけなのか、見抜くことができたでしょう。

見抜けば相手をせずに済みますから、そういう意味でもスレ民は踊らされていましたね…。

宗教問題は他からのアプローチがいっぱいあったはずですよ。言論マンはそんな手札を自分が持っていたことも気づかないようですが…。

>>1の良心をたずねてみよう

例えばまず「じゃあ>>1の中にある良心は?どんなことが起こったとき、許せないと感じる?」これは興味深く、してみる価値のある質問でしょう。

理性の声だけで善をなすものが真によいものだと説いたのはカントですが、>>1の中で「善」と「悪」はどうあったのか、気になりますね。あるいは理性とか。

これについて「良心なんてものは無宗教だから俺にはないよ」と答えられれば、それは無宗教だと言えるでしょう。

そして一方で「1つだけ許せなかったのは虐待だ」とか「1つだけあるとすれば、価値観を押し付けてくるお前らのような発想だ」と答えられれば、そこからとっかかりが生まれます。

「なんでそれを腹立たしいと思った?」「その時に無力さを感じたことは?」などと質問を繰り返していけば、必ずその人の正義みたいなものが生まれるはずです。

あとはいくつかその「正義」とやらをうまく並べてあげて、「>>1が言ってる考え方ってのは仏教の○○って考え方と同じなんだけど、これについてどう思う?自らの根底に仏教的思想が流れてる、って思ったことは?

まあ「ない、あるはずがない」と答えるでしょうが、それなら議論は終わりですね。

はいそうですか、ならしょうがない。これ以上続ける意味はありません。

しかしながら少なくとも宗教定義問題という土俵から彼を引きずり出し、彼の論がまだあやふやであったことを指摘することには成功します。

…果たして、そんな、他人を論破するかのような議論に意味があるでしょうか。私には単なる自己満足に過ぎないと思います。

私見:彼は無宗教ではないし、人間は無宗教ではありえない

彼の意見を全面的に首肯するのは危ういです。

私は彼を擁護し、言論マンをある程度批判しましたが、それが同時に「私も無宗教である」ことの裏付けにならないことは理解いただけるでしょうか。

つまり私は「うーんまあ>>1の土俵にみんなが乗っちゃったから今回は>>1が勝ったけど、でも>>1みたいな考え方が適切とは思わないなぁ」という考えです、はい。

どこが危ういかというと、…と言おうとしたけど長くなるんでやめときますね。

ちなみに宗教関連で面白い話といえばこれ

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