新しい生活に適応しない人達
タイトルの通りです。そういう人達の心理が分からなかったのですが、ちょっとだけ気分を味わうことができたので報告します。

「きちんと行列に並びなさい」
日本政府のコロナウイルスに対する失策は火を見るよりも明らかで、それこそ保守陣営からも急進陣営からも「遅すぎる」の声が上がっています。
言いたいこともありますが、やっちゃうとそこらへんのアカウントと変わらなくなるので沈黙を貫いておきます。
何にせよ、新型コロナウイルスの影響は私の生活にもあり、毎日出ていっても密になるような環境では作業できなくなりました。リモートではできない仕事なのでしょうがなく出てはいますが、効率はあまりよくないです。
さて、私は健康のために毎日運動施設に通っています。フレックスタイム制でコアタイムなどあってないようなものなので、開店時間から速攻で向かい、予約するということがあります。
想像以上に暇z…時間に余裕のある方が多いのか、私が開店時間10分前に行くと、すでに10人のおじいさま、おばあさまが並んでいるという状況。
行列は施設の入り口前にずらーっと並んでおり、入り口の自動ドアが開いたら、今度は下駄箱に靴を入れ、受付の前に並びなおす、というシステムです(これ自体が意味ないというのは置いといて)。
そして以前、つまりコロナ禍以前や、コロナ禍になってから少し経ってから…ぐらいまでは、並び方が割と適当でした。
というのも、自動ドア前の行列と、それ以降の行列の順番は全く関係がなく、靴を入れた順に並んでいたからです。
私はその時もそれを実行していたのですが、これがよくなかったようで。
すぐに後ろから肩を叩かれ「みんなちゃんと並んでるんだから、ほら見て」とおじさんが指さしたのは地面。番号が振ってあります。
「入口前の順番通りに並べ」と言いたいのでしょう。続けて「いつもこんな感じなんだからさ」と。
並びなおした私に、すぐ前の順番のおばさんが「初めてでわからなかっただろうから教えてあげる」と唐突に新ルールを説明しだしたのです。うるせえよ。
私はこの施設をそれこそ毎日使っていて、何度も開店時間前に来ては列で並びなおしていました。
私よりも下駄箱に入れるのが速い人に抜かされることもありましたが、別に何とも思わなかったのです。それが当たり前だったから。
コロナ禍以後でも並び順が適当な日はあったのに、おばさんは「並ばないいい加減な人もいるけど、みんないつもちゃんと守ってるから」と言いだすのです。
これには反感を覚えましたが、明らかにこの場では向こうのほうが正しいので黙っていました。
このエピソードで私は、ノーマスクだとかコロナは風邪だ、コロナ脳が云々と主張する人々の気持ちが少しだけわかりました。
ノーマスク運動の心理
それは結局、突然に現れた「新しい生活」を押し付けられることへの反感だと思うんです。
つまり、今までしなくてよかったマスクルールにみんなが思考停止で追従していて、自分だけそこから取り残されているように見える…これが許せないのではないか、と。
それはまさに、新人女性社員に何を言ってもセクハラになる、もう話したくない!とコミュニケーション自体を放棄してしまう年配社員に、非常によく似ています。
新しいルール自体が受け付けられないので、そのルールよりもだいぶゆるく、あいまいな(言語化されない)部分さえも切り捨ててしまうのです。
確かに「自粛、自粛、自粛」を求められた一年ではありましたが、国主導で旅行業界救済のための措置であるGo Toキャンペーンもあり、何だって全部自粛というわけでもありませんでした。
自分で工夫しながらマスク生活を楽しむことも(深刻な持病などがなければ)一応は可能でした。ところが「ノーマスク」派の人はそれ自体がもう嫌なのです。
何かを押し付けられる、新しいルールが降りかかる、守らなければ空気に弾圧されることを嫌いすぎてもう何かを受け入れる余力がなくなっている。
で、そうなったきっかけというと、それが私に口やかましく「新しい生活」を指導してきた見知らぬ人だったりするんじゃないか、と。
まあだからといって行列を守らない人に一言いいたい気持ちも、マスクをしない人にお願いをするのも感情としてわかります。一部の陰謀論者を生まないために、より重要で広い社会規範を捻じ曲げよとは思いません。
ただ、ノーマスク派の人と話すときは、彼らの中に「反感」を抱いている人がいることを忘れちゃ駄目でしょう。それがあれば意思疎通というか、おたがいに譲歩できるという気がします。
未知のウイルスを恐れる人間を「あなたたちは怖がり過ぎている」と上から目線で啓蒙する人々と話をする気力も体力も私にはありませんが、やりたい人がいればどうぞ参考にしてみてください。
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