長文が書けない人がツイッターで意見を言うと嫌われて終わる

言論
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長文を読めないのにコメントはしたい人がツイッターにはいる

このブログではありませんが、メディア運営で月1万円とか稼いで多少なりともお小遣いにしてた人間なので、長文を書くことは慣れています。

長文はだいたい2000字以上の文章としましょう。

小さい頃は原稿用紙を何枚か埋めるだけで苦痛でしたが、今では自分が本当に好きなものを語るとき、いつの間にか1万字を書いていたりするので、成長ってすごいですね。

今回の本題は「長文を書けない人」と「意見を言いたい人」について。

この二つが組み合わさった瞬間、その人は「クソリプ製造マシーン」と化すけど、そういった人は結局嫌われて終わりなのだろう、と主張します。

自己顕示欲とはすごいもので、例えば政治系で何度も炎上していた某アカウントが「誹謗中傷が怖いのでアカウントを消します」と言って消したかと思えば、数日後には「私の存在をディスる人がいたので元に戻しました」と復活

かくいう私だって、ボロクソに匿名で叩かれてもまだ文章を書くことをやめられないのですから、同じ穴の狢ですね。

誰が読んでいるかはわかりませんが、書くことが好きで自己顕示欲があれば、文章は書けるんです。

長文を書く能力は「特殊能力」なので、的外れな読解が横行する

世の中には一定数「長文を書けない」人がいます。

意外かもしれませんが、長文を書く能力は泳ぐとかピアノを弾くとかと同じく「特殊能力」の一つです。

もちろん、長文が書けなくてもツイートならできます。

長文を書けないのに何かの記事を読んで意見を発信したい人はいてもよいでしょう。

しかし、そういった人は大きな勘違いをしています。

実は「長文を読む」ためには「長文が書ける」必要があります

つまり「長文は読めるのに書けないな」って人はほとんどいません。

他人の文章を咀嚼して落とし込む作業はとても知的だからです。

例えば小学校の読書感想文で、何を書けばいいのかわからなかったのではないでしょうか。それ実は「書き方を教わらなかった」からではありません。

むしろ逆。教わってないのは「読み方」のほうなんです。

皆さんはよく「文章を読んで次の問いに答えなさい」という国語の問題を解いてきました。でも、国語のテストで100点しかとってきませんでしたか?違うはずです。

読み間違えることがあるからです。

でも、どうすれば正しい読み方ができるのかは教えてもらえません。自分で何度も間違いながら「体で」覚えていくことだからです。そしてこの能力は、普段の生活ではなかなか身につきません。

そしてもう一つ、長文を書くより正確に読むほうがよっぽど難しいという根拠を出します。

以下の文章を読んでみてください。

「今日は太郎君の誕生日でした。誕生日といえばカリナンです。トランスヴァールがイギリスに送りました。カリナンはCなので、焼けばいいと思います」。

意味わかりました?

これ、私の中ではちゃんとつながってるんです。

カリナンは世界一でかいダイヤモンドの名前で、トランスヴァールは国の名前です。トランスヴァールはカリナンをイギリスに、王の誕生日プレゼントとして送ったんです。

ダイヤモンドといえばその素材は炭素(C)。炭素は焼けば蒸発しますから、カリナンを消したかったら焼けばいい、と。

ところがこれを「読解」する場合にはかなりの苦痛を伴います。まず「カリナン」「トランスヴァール」「C」という専門用語が出てくるため、意味を調べなくてはなりません。

なぜそれらの単語がこの組み合わせなのか、推測しなくてはなりません。

意味不明な文章を書くことは楽ですが、その意図を読み取るのはとても難しいのです。

ちゃんと読めるなら、ちゃんと正確な要旨を書けるはずです。

同じ土俵に立つ権利は「読めて初めて」手に入る

あなたは同時にこうも思っているでしょう。

「私は毎日膨大な量の文章をインターネットで読んでるけど、書くのは苦手だ」と。

わかります。そうですよね。

でもそれ、本当に正しく読めてますか?

正しく読めてる保証はどこにありますか?

難解な部分を飛ばして意図を推測していませんか?

当然の話ですが、触れる文章の量が膨大であるほど一文字あたりの読解の時間は少なくなります。

もう一度聞きます。

本当に文章を『正しく』読めていますか?

正しく読めている時点で、その筆者が言いたいことは全部わかるはずです。

そして本来、注意深く読んでもやっぱり筆者の意見に同意できないとき、初めてその意見を批判してよいはずなのです。

こんなの、議論をする上で至極当然のルール。ディベートに参加するならルールぐらい読めよ、と。

言論として同じ価値を持ちたかったら、最低限でもその筆者の言うことを注意深く読みましょう、と。そりゃあ当たり前でしょう。

ところが、ツイッターで何かボヤいてるのは「長文は書きたくないけど、一言モノ申したい」という輩なのです。これは大変。

長文が書けない輩が長文なんて読めるはずないのに、いったい記事のどこを読んでいっちょ噛みするんでしょうか。

そういう人達が自己紹介欄に「正論を言います」「毒を吐きます」と書いてると…もう…。案の定、意味不明な揚げ足取りコメントばかりですし…。何がどう「正論」なのか、5000字で教えてください。

意見は言いたいけど長文は読めない、そんな贅沢病

数千文字を尽くして自分のありったけの思いを連ねても、たかだか100文字(はてなブックマークは100文字)や140文字(ツイッター)で、非常に思考停止的で周回遅れの「反論」が飛んできます。

でもその反論に、もとの言論と同じ価値を認めるわけにはいきません。なぜならそれらは「正しく読めていない」上で書かれた反論だからです。

ちゃんと読めていれば的確なことは言えるはずなのです。

もちろん「同じ価値を認めろ!」という人もいます。ブロガーは俺たちブックマーカーのコメントを無視するな!と。でもそんなの、無理筋です。贅沢病です。

私の記事を批判するなら、せめて私の記事を隅々まで読んで、要旨ぐらい作ってからにしてほしい。意味不明な指摘をして、こっちの手を煩わせないでほしい。

もちろん私はいつでも(コメント欄やお問い合わせフォームで)批判を受け付けています。

明らかな罵倒語がある言論は中傷と一蹴して受け付けませんが、建設的な議論ならお互いのためにいくらでも時間を割く覚悟があります。それが言論者としての矜持ですから。

100字で書き散らしちゃう人達にはない覚悟ですよ。尊いでしょう?

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