知識や教養レベルが周りの人と合わないのはストレスなので、友人や大学は選ぼう

文学
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知識レベルの合わなさは生きづらさに直結する

京大にいた頃、文学部の後輩とご飯を食べながら将来の不安を話してた時に突然言われた一言でこの大学に来られて本当に良かったと思った
更新日:3月27日09時55分

これ、あんまりTogetterのコメント欄とかはてなブックマークでは評判良くなかったみたいなんだけど、個人的にはけっこうわかるんだよな~と思いました。

いちおうツイートの真意を伝えておくと、高校の国語の教科書に「山月記」ってのがあるんです。中島敦(なかじまあつし)の作品。

中島敦山月記

読むのが面倒な人のためにまとめると「めっちゃ優秀な主人公がいたけど、人の下につくのが嫌すぎたので自分の詩の才能だけで生きていこうとした…けど失敗。傲慢さとか尊大さの象徴である「虎」になって山に帰っていった」って話です。

おさる氏もツイートにまとめてるんですけど、ちょっと本質が違ってて。

これ「発狂して虎になる」理由が「能力に見合わないプライドの高さ」なんですね。だから後輩がそんなことを言ったら私は無心でいられない、キレそう。

暗に「お前能力の割にプライド高いもんな」って言われてるのと同じだし。

ま、それはいいか。

まずこのツイートがなんで叩かれてるかだけ解説してから本題に入りたいと思います。

「山月記」は教養レベルではないという指摘(クソリプ)

「山月記は京都大学生の教養レベルにしては低すぎるだろ!」っていう指摘が多かったです。

確かにこの人からは「京都大学なんだゼ」というおごりのようなものが見えないこともありません。

ですが、ツイート群を見てみるとそうでもなく、単に「相手から自分のツイートをどう解釈されるか」に無頓着なのでしょう。

「京大にいた頃」とかわざわざ言わなくてよい情報を言うのは「自慢したいから」ではないと思いました。意味はない、ただの情報。

ツイッターってのは自分のフォロワー300人に呟いたことが世界に共有される地獄みたいなプラットフォームなので、クソリプもしょうがないですね。かわいそうに。

えてして「上の人間」は「下の人間」のコンプレックスについて無自覚だから、結局受け取り手側の問題に帰着される気もします。

私は学歴コンプがないからか、このレベルなら許容範囲と感じます。「スゴくない!」って発狂してるような人もいますがよくわかりません。

それと切り分けて考えますが、山月記レベルはまあ確かに、京都大学文学部のレベルと聞いて期待するほどのものでもありません。

ツイートのRT数といいね数からしてそれも納得でしょう。このツイートが伸びたのは、ツイートの内容がマニアックではなく、むしろ一般的ツイッター民にウケたからでしかない。

本当に京都大学文学部レベルにマニアックなことをツイートしてもせいぜい数十いいねで終わっていたと思います。

で、本題。

知識や教養のレベルが合わないと大変である

知識のレベルが合わないと、本当に悲惨です。

お互い悲惨です。例えばレベルがめっちゃ高いところに行くとします。

出てくる表現の節々の意味がわからない。聞き取れない

何をもってみんなが笑っているのか理解できないし、ノリを求められて呼応できない。

これは別に「教養」とかに限った話じゃありません。

サッカーに興味がない人は「サッカーファンの間に入ってサッカー選手の話をする」ことがどれだけきついかわかるでしょう。

より特殊な、けれどもとてもわかりやすい例でいえば、アラビア語を話すエジプト人たちの間に入って意思疎通するようなもんで、こんなのストレス感じるに決まってます。

何か言ってるけど何をもって笑ってるのかわからない。自分を馬鹿にしてるのか、それともジョークを言ってるのか。

これをめちゃくちゃマイルドにすると「教養がある人の間に入っていく」感覚と一致します。「わからない」は苦痛なのです。

逆に、自分が「下」のほうにいくのもきつい。

とてもとても極端にすると、幼稚園児の間に入るようなもの。悩みの相談もできないし、話も伝わらない。そういう感じ。

それをめちゃくちゃマイルドにすると、周りの教養レベルが低い現象と一致します。

「教養レベルが低い人をバカにしてるのか!」ってコメントがきそうなので断っておきますが、今回の話はあくまで「例え話」しかも「かなり極端にした」もの。ご了承ください。

学生時代に「合う」友人を見つけられるか

だからこそ、学生時代に「合う」友人を見つけることが大事なのだと思います。

そういう人は同僚にはなかなかいないのです。

同僚はあくまで「仕事上の付き合い」でしかなく、プライベートの関係まで深まらないからです。

学生時代に見つけるのが大事。

周りが高かろうと低かろうと、自分と知識レベルや教養レベルが同じ友人が見つけられれば、もうそれだけで幸せです。

おさる氏の「この大学に来られてよかった」は「そういう同じ人と出会えてよかった」という意味であて、決して「京大に入れてよかった」ではないでしょう。

私の周りにも何人かそういう人がいます。私は多くの分野で「語れること」があるから、それぞれの分野に知識レベルが同じか、私より上の人がいます。

そういう人達はみな高校と大学で見つけました。中学時代の友人には一部しかおらず、あんまり合いませんでした。

いい人が多いのは認めますが「雰囲気」を漢字でどう読むのかさえわからない人もいました。

別にそういう人が駄目とかアホとか生きる価値がないとは言っていません。

でも、こちらからして「それぐらいはわかってほしいのにな~」「これって98%が知ってることじゃないんか?」ってことさえ伝わらない苦しみが、一体いかほどのものか?という話です。

友人になれる条件には暗に「知識レベルが同じ」があって、それは学歴社会だと言語化されづらいです。

なぜなら学歴での選別は、知識レベルの選別とほぼ同義だからです。

例えば私の「合う」友人との会話というと、だいたい以下のようになります。

「ダイオウイカって揚げたらうまいのかな?」

「アンモニアで浮上するから美味しくないらしい。日本酒に漬けとくといいって」

「人間も日本酒に漬ければおいしいかな?」

「アンモニアで浮上しないだろ人間は!」

「少なくとも私はキャラが浮いてるから漬けると美味しいと思うぞ」

「キャラがメテオラみたいだもんな」

「メテオラっていうかピレネーの城でしょ」

「あそこまで浮いたらそれはもうルネなみの個性だろ」

非常に会話が滑らかに進行します。コンテクストを説明しなくていいから。

まあこの友人、実在じゃないんですけども…

これを見て「いけ好かなさ」を感じる人もいるでしょう。

「そうやって『ぶって』んじゃねえよ」みたいな反感はあると思います。それは認めます。

でもそう感じた人だって、自分に合う知識レベルの人を無意識に選別して友人にしているでしょう。

誰のレベルが高い低いという話ではなく、「自分と合うかどうか」。それぞれ、合う人を見つければよいと思います。

私にいけ好かなさを感じたのなら、別の人に行けばいい、それだけの話です。

さて、その真意を見抜けば、冒頭で紹介したツイートに「京大なのにレベル低くない?」とか「なんか鼻につく」とリプしてしまうのがクソだとわかります。

教養についてはここでも考察しています。

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