宗教問題とフェミニズム
この「固有名詞を含んだ大元のツイート」は簡単にいえば「ムハンマドは9歳で女の子と結婚した人間の屑」という内容です。

これがいかに危うい発言なのかは、イスラーム法を少しかじった人ならすぐわかります。
シャリーア(イスラーム法)はクルアーン(コーラン)やハディース(ムハンマドの言行録)などを取りまとめたもので、イスラーム諸国が近代法とともに主に民事で適用する、広くいえば「道徳」のようなものです。
道徳と言うとひどい語弊があります。なにせ国家行政、はては戦争法にいたるまでをカバーする広い体系だからです。
その中には「やらなければならないこと」から「やってはいけないこと」までの5段階があり、真ん中が最も多いのですが、「やってはいけないこと」に「神を冒涜する」とか「ムハンマドを冒涜する」があります(お酒を飲むな、豚肉を食べるな、などもあります)。
「ムハンマドは人間の屑」発言は冒涜と捉えられてもおかしくないですし、パキスタンなんかでは「ムハンマドを冒涜した人は死刑」と書いてあったりします。
我々日本人が想像さえできないような慣習に則って生きている19億人がいることへの想像力の無さに、驚くばかりです。
日本人が首相、天皇、アマテラスオオミカミを馬鹿にしたところで死刑になることはありませんが、それがあり得るのがイスラーム諸国なのです。
同じフェミニストとして私から言えるのは「命大事にして…!」です。
なぜならフェミニズムは多くの場合、シャリーアとは相いれない思想だからです。
その前に、まずイスラーム世界がどれぐらい我々日本人の常識と相異なっているか示します。
悪魔の詩訳者殺人事件
インドの作家にサルマン・ラシュディという人がいて、その人が「悪魔の詩」(The Satanic Verses)なる小説を書きました。
これはイスラームを皮肉ってムハンマドの生涯を描いたもので、発売直後からムスリムから非難が殺到、そして当時イランの最高指導者だったホメイニによって「著者や発行関与者を死刑にする」お達しが出されました。
日本でもこれに関連した事件が起こっています。当時筑波大学の助教授だった五十嵐一(いがらし・ひとし)氏が何者かにより殺害されました。彼は「悪魔の詩」を日本語に翻訳していました。
この時、彼の殺害方法がイスラーム式だったため、バングラデシュ人留学生の関与が疑われましたが、学生は短期留学で殺害の日の午後には帰国。真相は闇の中です。
ムハンマドを揶揄すれば、たとえそれが歌であっても死刑になることはありえます。

自身の歌の中でムハンマドを冒涜したとして、22歳のナイジェリア人が絞首刑になりました。
イスラーム穏健派の「自浄作用」には期待できない
それでは、こうした「過激」な思想を、いわば自浄作用によって穏健に塗り替えてもらえないか、と期待できるでしょうか。
残念ながらこの動画を見る限りそれは厳しそうです。日本語字幕があるのでぜひ見てみてください。「イスラーム穏健派はどこにいるのか」というタイトルでして、語り手の体験やデータが話されています。
- 「全ての土地を征服してムスリム化するまで戦いは終わらない」と教わる
- 9.11テロのときに上がった声は「歓喜」
- 姦淫を石打ちの刑にし、ムハンマドや神を冒涜した者を厳しく罰することに多くの人が賛成している
かくいう私も、かつてイスラーム圏から来た人から宗教勧誘を受けたことがあります。親しかったのですがそこだけは私と相容れませんでした。
彼らにとっては「イスラームを広めることが善いこと」なので、宗教が一応ある私にも勧誘できるのでしょう。
もし我々がイスラーム教徒の「穏健派」を「石打ちやむち打ちをせず、公開処刑をせず、女児の早期結婚に反対し、同性愛に理解がある」と定義するなら、そもそもそんな穏健派はイスラーム教の中では圧倒的少数派だ、と締めくくられています。
フェミニズムとイスラームは相いれないもの?
かねてからイスラーム圏は「女性差別侵害だ」とフェミニズムから批判されてきました。
例えば女性は貞操を許した男性以外の男性に自らの毛(髪の毛、陰毛など)を見せてはいけず、ヒジャブと呼ばれるスカーフを頭に巻いています。
なぜ女性だけなのか?女性の権利を侵害しているのでは?という意見はありますが、むしろ最近のイスラーム圏の女性はファッション感覚で楽しんで選んでいます。イスラーム教を信奉するマレーシアの女性に聞きました。
サウジアラビアでは2018年にようやく女性の車の運転が解禁され、現地女性が喜びを語りました。

この方は助産師で、連絡があればすぐ病院に駆けつけなければなりませんから、免許は大変重要です。
トルコでは9歳の女の子との結婚を認める見解を宗教機関(宗務庁Diyanet)が出し、国際的に非難を浴びてこれを撤回しました。

児童婚への批判は人権意識の高まりとともに激しさを増していますが、そもそもムハンマドが9歳の女の子と結婚し、15歳で初夜を迎えた、というのだから、西欧が与える「人権」という概念には確かにそぐわないでしょう。
人権に付随して認められる女性権利思想…フェミニズムとも相性が悪いのは確かです。
「言論の口封じ」は日本では卑劣な行為とされていますが、もしイスラーム圏に住む19億人を全員敵に回し、命の危険を感じてでもフェミニズムを唱えたいのなら、私はお世辞や皮肉抜きで素直に感激します。
そうしてでも広めたい思想を持たない日本人のほうが多いのでしょうから、何か自分が信じられるものがあるのはよいことです。私も持ちたいものです。
でもこの人にそんな覚悟があるようにはあまり見えず、単に宗教的な無理解が露呈しているだけのように思います。
イスラーム教徒に対して「理解」を求めるのなら、ムハンマドは人間の屑、なんて書き方はそれこそ絶対にしてはならない。
彼らにとって上から与えられる思想は神の思想以外になく、それを理解しないことには話し合いなどあり得ないのだから。
多くのイスラーム諸国が苦心して、何とか人権意識に則って作られた近代法と伝統のシャリーアを両立させています。だから、日本人の多くが恐れるように「全員がテロを行う」人達ではないのは確かです。対話は成り立ちます。
しかし対話は、一方の文化をあまりに断定的に「冒涜」している人のところには生まれてこない。同じフェミニストとして、その部分は批判しなければなりません。
9歳女児との性交が重大な性的虐待であることは間違いありません
間違いないとは私も信じていますが、この方に対話の意志さえないのなら、そこから何かが生まれてくることはないでしょう。人権意識も西洋の価値観であっていわばひとつの「イデオロギー」に過ぎないという自省は必要です。
私は相対主義者ではありませんが、自らの正義を鏡に照らす時には、そのような自省もするべきだと考えています。
フェミニズムについての事例は他にもあります。これとか。
お気持ち案件という、フェミニストを攻撃するときに使う言葉の無意味さについてはこちら。
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