就活はそもそも病むもの
あっ、私のサイトはそこらへんのクソみたいなアフィリエイトサイトとは違って、最後に新卒採用エージェントを勧めたりはしませんからご安心を。
人の人生に付け込んで金を稼ごうとするなんて悪辣。ああいうサイト、リクルートとかマイナビとかと一緒に肉じゃがに放り込まれて溶ければいいのにね。

就活は人生を決めるイベントなので病んで当然
理系の皆さんはもう企業からのスカウトがどうとか、冬インターンがどうという時期ではないでしょうか。
私も久しぶりに、当時書いていた日記を見て就活のことを思い出して「あれはやっぱり異常だった」と感じています。
「就活 病む」で検索して同じ考えの人がいないか確かめたり(このページに検索でたどり着いた人はそうかも)友人とお酒を飲みながら、就活についてくだを巻いたりしていました。
安心してください。あんな異常な方法で測られ、選別されていくようなことは働き出してからはありません。あくまで就活だけです(転職もそうかも)。
なぜ就活が「病む」のかというと、それは主に以下の三つの理由によります。
- 考えたことがない「人生」について考えるから
- 自分の価値を嫌でも実感させられるから
- 先が見えないから
それぞれ解説していきます。
就活は「人生」について考える場
まず、就活では各々が人生、つまり生き方について嫌というほど考えさせられます。
どこで働くかを考えれば田舎から都会に出るか残り続けるかの選択を迫られますし、給料はいいけど忙しい会社か、あまり高くないけど趣味を追求できる会社かを選ばされますし、
結婚したいなら都会のほうが有利だなとか、親の年齢的に介護の問題があと何年でくるとか、
考えることが多いんですよ。
しかも、今まで全く考えなくてよかった問題たちです。
これらはおもに「未来」についての選択肢ですが、一方で面接対策として「過去」のことも嫌というほど考えさせられます。たとえば面接では
「あなたが今の性格になったきっかけを教えてください」
「チームで一丸となって取り組んだ経験はありますか」
なんてことが、聞かれるわけです。当然その場で考えてもよさそうな質問ではありますが、変な地雷を踏まないように慎重を期すなら、前もって考えておくに越したことはありません。
そこで面接前に「予想される質問とその回答」を考えておく…みたいな、もう本当に不毛としか言いようがないことを実質的にはさせられるわけです。
もちろんしてもしなくてもいい。でも、したほうが合格率が上がると知っててやらないような人はいないでしょうし、受からないでしょう。
そういうことを考えていくうちに、自然と「自分の人生とは何だったのか」考えざるを得なくなりますが、そもそも人生、そんなこと考えずとも平気で生きられるようになっています(昔も現代もです)。
普段考えていないことを考えるため、疲れるんですね。
ちなみに私は色々事情があってそういうことを考えざるを得ないような人生でしたけど、それでもやっぱり疲れますよ。だってそういう「事情」を言うと絶対に採用されないわけですから。同性愛とか。
就活は自分の市場価値を感じさせられる
新卒採用でも転職でもそうですけど、やっぱり入りたい会社と自分の能力にミスマッチがあると、お互いにとってよい結末を招きません。
そこで面接官はできるだけ会社の空気に合った人達を入れようとするわけです。
問題は、性格とか学歴とかテストの点数とか成績とか、そういった項目で「市場」のように自分の価値を値踏みされることにあります。
つまり、自分という存在がパッケージ化されて、就活市場に並ぶわけです。これはけっこう非人間的だと思いませんか。
もちろん受験だってそれは同じですけど、受験は「テストの点数」という単一的指標だったからまだ「市場」ぽさを隠ぺいできてました。
それが就活となると、もう「旧帝大卒部活経験陽キャラ」なんかが頂点に来ることはわかっていて、そこからカーストが順番に決まります。
そういった状況で人間(新卒)は自分や他人をどう採点するのか?
加点主義じゃなくて、減点主義です。
つまり「自分は3年間アルバイトをやってきた、だから大丈夫だ!」ではなく「部活をやってない…旧帝大卒じゃない…性格明るくない…どうしよう…」。
後ろ向きになってしまうんです(この考えはマッチングアプリでも同じだったりします)。
就活は先が見えない
要因としてはこれが一番大きかろうと思います。
受験なんかと同じで、人間って「受かったか落ちたかわからない宙ぶらりんの状態」「まだ内定がない状態」が一番ストレスかかるんですよね。
人生の大きな転換期の中で、自分がまだ「未確定である」という状況。
これは人間の精神を徐々に、しかし大きく蝕んでいきます。
「敷かれたレールの上を走ればいいだけだろ?」とアドバイスしてくるおせっかいな大人もいるでしょうけど、そういう人には「えっ…レール?そんなもの、ありました??」って言ってやりましょう。
もはや人生のロールモデルなんてものは無限遠点に消失し、結婚するとか子どもを持つという「当たり前の幸せ」さえ当たり前ではなくなりました。
そんな中「内定がない」ことがどれだけしんどいか。
就活がゴールではなく、むしろスタート
病まないようにするためには、就活という転換点を転換点と捉えないようにする必要があります。
就活をゴールとしてしまうと「就活で人生が絶対に決まる」って思いこんじゃうんです。
なかなか逆説的でしょう。
むしろ就活こそがスタート、長い長い労働人生の始まりである、と定義してみましょう。そうすれば、入る会社なんてそんなに大きい問題ではなくなります。マジです。
むしろ入ってから自分が労働をどうとらえるかのほうが、よっぽど大事です。
確かに人生の「お手本」なんてものはなくなりました。入りたい会社に入れないことがあるかもしれません。でも、そんなものは大して大きな問題ではない。
私の恩師も第一志望の会社に落ちて愕然として、失意の中入った会社でよい上司を見つけて研究しまくって教授にまでなってます。
恩師の口癖は「やらされ感を持ってやるのか自分からやるのかで人生は大きく変わる」でした。
人生には自分からコントロールできることとできないことがあります。希望の会社に入れるかはコントロールできないことですが、入った後に自分がどう働くかはコントロールできます。
同じ阿呆なら踊らにゃソンソン、騙されたと思ってアホになりきりましょう。
…………そうしないと、病みますからね。
就活の欺瞞について書きなぐった「就活や転職面接で「第一志望ですか?」と聞くの全然意味ないし、適当に答えて大丈夫」もどうぞ。
コメント