「差別に反対する」「差別をなくす」のはそもそもめんどくさいので、反対意見もよくわかる

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反差別思想はめんどくさいのです

反差別、とは簡単に言うけれど

LGBT当事者と考える「職場でしてもいい質問、絶対ダメな質問」
みんなの反応 んなめんどくさいことばっかり言ってっから「じゃあ雇いたくない」って言われんだよ (tomoさん) 少なくとも以前俺の周りに居た性的マイノリティはみんな明け透けで楽しそうだったけどな。ネタキャラ扱い含めて受け入れたまえよ。居られ

現在、ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)への配慮はますます強く、少しでも性差別、人種差別的なことを口走れば、外から何者かに石を投げつけられます。

あれだけ宗教的な圧力でもって女性を抑圧していたイスラム教でさえも、フェミニズムとの釣り合いを取るために「女性の車の運転」が解禁されたりしています。

もはやこの趨勢はしばらく変わらないでしょう。他人を差別したい人にとって生きづらい世界になっています。

そうなると、今度は反動として「反差別こそが全て正しいと思うなよ」というカウンターが盛り上がるのも自明です。

で、今回は、そういう側の人の気持ちもよくわかりますよ、という話をします。

あくまで私は世界から少しでも差別が減ればいいなと思っているので反差別陣営ではありますけど、気持ちとしては差別主義の側にも立てます。

反差別は例外がない

めちゃくちゃ極端な話をします。極端なのでまずは聞き流してください。

自分の息子をA国の人に殺されてしまった父親がいるとします。この父親は、それでもなおA国の国民を愛さなければならないのでしょうか?

それに対して「もちろん、そうです」と答えるのが(理想的な)反差別でしょう。

相手が誰であっても自分がどんなイベントを経験していても、やはり一律に「差別は駄目です」と言わなければならない。

これに対し「いや、さすがに自分の子を殺されたのにその国の人を愛するなんて無理でしょう」と答えることはできません(少なくとも「完全な反差別を唱える」人々は)。

なぜならそれは程度問題だからです。「じゃあ、自分の子を強姦されたら?」とか「じゃあ、自分の店の商品を万引きされたら?」となってしまいます。一体どこまで差別思想を許せるのか。

程度によって線引きできないからこそ、理想的には反差別主義は「誰から、誰に対する差別」も禁止すべきなのです。

もちろん、黒人から白人への差別も、盲人から健常者への差別も、同性愛者から異性愛者への差別も、貧者から金持ちへの差別も、みな一律にダメ、としないと。

そしてこれは人間の直感にはあまりに受け入れがたい話です。以前、こういうツイートがありました。

このツイートでは反出生主義ですけど、私は反差別主義という「真理」もまた、人間にとって同じぐらい程遠いものであると感じます。

だからこそ、「でもどんなことがあっても差別は駄目だし、俺は差別をしない」と言えるネットの有象無象をま~~ったく信用していないのです。そんなわけあるかよ、と。

差別をしてしまうのが人間で、それを抑えるのが理性だ

断言しちゃいますけど、生まれてきて一度も差別をしたことがない人間は、誰一人としていません

もちろんあなたも私もです。もし「いや、ない!」と思っているのなら、それは「ないと思い込んでいるだけ」です。私は現にこのブログでも何度か差別をしています。いちいち書きませんが。

そして私は現実世界ではもっと多くの差別をしてしまっています。

とがめられることがないだけで、人種や性別や職業や地位や貧富や学歴や言動や病歴や清潔感で人を判断しています。気づきもしないうちに。

差別という感情はいたって自然で当然で合理的で、反差別陣営のトップを張るあのアカウントもあのテニス選手もみな、心の中では何かしら「気持ち悪っ!」と思っています。

なぜ完璧な反差別が人間には不可能なのか。それは、反差別には例外を設けちゃいけないからです。そして例外がない人間はいない。

個人の嫌な経験は属性と容易に結びついて「あいつは○○だから○○だろう」なんて考えちゃう。

日本人は簡単に「肌の色が違うだけでなぜ差別してしまうのか」って考えがちですし、そういう子どもの作文が優秀賞取ったりしちゃいますけど、それらを読んで感動している人は差別をな~んにもわかっちゃいない。ピュアな感性は(純粋に)羨ましいですけどね。

はだの色や国。地いきがちがうことが、同じ人間として、まったく関係のないことだと分かってほしい

https://www.vill.otama.fukushima.jp/kyouiku_bunka/otamamura_sakubun/28nendo/yuusyuusyou_sabetsu/

こういうことは、アメリカで黒人の犯罪率、貧困率、失業率が高く、DVや麻薬や売春に手を染める人が多い現状を知ると、簡単には断言できなくなります。

日本で言えば「ホームレスへの差別をあなたは食い止められますか」という話でしょうか。ホームレスって駅にいると怖いし、異臭がするし、床に座ってて汚いし、…そういうのが人間の「自然」で「素朴」な考え方、価値観というものです(そう思えという話ではないですよ)。

これは反差別陣営の間でも行われる、闇と業の深い形式の差別です。

「あいつは電車の中で奇声を発しているから精神病だろう。近づかないようにしよう」とか、「公立中学は動物園と同じだよね」とか。

リベラル・反差別の根城であるSNS「はてな」でも、そのようなコメントは散見されます。

まぁこんなウダウダ書かなくても公立中出身者ならあの動物園に通わなくていいってので十分良さはわかるよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695336495910429090/comment/naga_yamas

このコメントを責める人は幸せな中学生活を送ったんだね、いきなり階段から蹴られて突き落とされたり腹パンされたり挨拶は「死ね」で邪魔だって理由で箒で殴られながら追いかけられたらそんなの言えなくなるよ

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695360707189526626/comment/tableturning

こういったエピソードについて私がどう思うかは言及しません。

ただ、そういった過酷なエピソードが自分の中にあったとしてもなお歯を食いしばり、悶絶の声をあげながら「それでもやはり差別は駄目です」と言い続ける必要があるのが反差別です。

高度な理性、自分が嫌いになるほどの自省心、高潔な人格の三つが揃っていなければ実践さえできない。

簡単に「私は差別をしません」と言い切る奴らはきっとどれかが揃ってないし、それに反感を覚えるのもわかります。

一に自省に二に自省、だからこそきついしめんどくさい

以上の話を読んだ方なら、反差別における本質が見えてきたのではないでしょうか。

反差別とはつまり「自省」なのです。自らのアイデンティティを歪ませるほどの強烈な自省が必要です。

そしていざ批判の矢面に立たされて「あなたのそれは差別です」と言われたとき、涙を流しながら「はい、そうです。申し訳ございません」と述べる覚悟も必要です。

残念ながら、そんな殊勝なことができる人は限られています。

伝聞の話だけで簡単に韓国人や中国人を差別できる人もそれはそれで奇怪ですけど、反差別主義を経てまた差別主義に戻ってきた人を、反差別陣営の人々は説得できるのでしょうか。

「それでもなお差別は駄目なのだよ」と、自らの身を挺して主張できるのでしょうか。

そういう人がほとんどいないからこそ差別が広まっている、という現状はある気がします。差別主義と反・反差別主義が同居していて、後者を説得するには立派な自分の姿を見せるしかない。

これはかなりきついしめんどくさいですよ。だから、自分の中に被差別経験や相当の覚悟がなければ「私は反差別主義者です」なんて言えない。批判が来るからね。

で、例えば簡単に、教科書的な反差別を述べている人がそんな経験や覚悟を持っているのだろうか、と考えたなら、それはどうも疑わしい。だからこそすぐにボロが出てしまう。

他人を攻撃するためだけに反差別を振り回すような輩の話をしています。

「何が差別なのか」を考え続けないといけないのがめんどくさい

それではいったい差別とは何なのか。私は過去記事

差別とは「特定の集団に属する個人、あるいはその集団について他と差を設け、立場を低く扱う」ということ

と述べていましたが、これは当然暫定的な、話を進めるために設けた定義でしかありません。

具体的にどういうことが差別なのかは、結局個々の場面に応じて考えていくしかない。

例えば女性の荷物を持ってあげることだって、それを嬉しい、してくれてありがとうと考える人がいれば、女性の自立を妨げていると感じる人もいる(いわゆる「逆差別」)。

黒人に貧困層が多いからと大学入試の点数をかさ上げすることも、やはり差別とする意見があるわけです。

一体どちらが正しいのかと聞かれれば「その時による」としか答えられない。こういった相対主義は嫌いなのですけどね。

差別に例外はないことは認めるとしても、それが差別かどうかを決めるのは非常に難しいのです。

ましてや自分に矛先が向いたとき、自分をも客観視して差別かどうかなんて冷静には考えられないです。どうしても「いやこれはただの事実であって」「差別じゃなくて区別!」って言っちゃう。

そういう暴力性が私にもある。

ただの事実。私も荒れた公立校にいたからよくわかる。避けられるめんどくささを避けるのは悪いことじゃないよ。

https://b.hatena.ne.jp/entry/4695360707189526626/comment/rci

事実だからよいのだ、を敷衍しまくると、黒人差別だって「黒人の犯罪率が高いからしょうがない」という話になってしまいますよね。

めんどくさいけど、やらなければならないと思っています

というように、私は気持ちとして十分、差別をしてしまう人の気持ちがわかるのです。なぜなら私も差別主義者として、世の中にはびこる差別の一翼を担ってしまっているからです。

ホームレスを見なかったことにして生きていますし、公立中学校は動物園(のようなところだ)と今でも思っています。

でも、それでもなおやらなきゃいけない。私みたいにめちゃくちゃ生きづらい人が少しでも減ってほしいと思っているからです。それに、結果的に私も生きやすくなりますし。

1人が100の負担をしているとして、これを1万人に1ずつ負担させるのが反差別主義です。不幸の総量はむしろ増えています。

でも頑張らなくてはいけない。自分の負担を減らすため、誰かの負担を減らすため。

まあそんな感じで、現実問題が虚構と接続するあたりで、今日のお話は終わり。善く生きたいですね。

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