不自然な英語は気にしないようにしよう

こういう「ネイティブはこう思ってるからね!」系のやつ、マイナスのほうを紹介する利点があんまり感じられないんだよなってずっと思ってます。
や、このツイート主を責めてるわけじゃなくて、こういう意見だって当然、参考にするならとても有意義だと思います。
ただねぇ、そういうのをテレビで嬉々として「あなたの英語、間違ってます!」ってするのは違うんだよな、と。

言葉は文脈を離れて評価しようがない
「言葉は、文脈から離れればどんな意味にでもなる」これが今日のテーマです。
テレビか何かの取材で、アメリカの子どもが”How old are you?”と聞かれて(なぜかわからないが)”Good”と答えました(動画を見たことがあります)。
これ日本語に訳すると「何歳?」「いいね」、全く答えになってません。
では”Good”には何の意味があるのか?
たぶん、この文脈では何の意味もありません。聞き間違えたのか答える余裕がなかったのか?現にまた「何歳?」と聞き返されていました。
辞書を見ると、何かこう「絶対的な意味が言葉にあって、それをみんなが用いている」ように思うかもしれませんが、これは記号論的に言えば全くの間違いです。
そういう風にコミュニケーションをするのは「モールス信号」とか「暗号解読」みたいな場面だけであり、言葉はいくらでも意味を変えることができます。
もしそうでないのなら「詩」とか「歌」の意味を解釈することさえできないでしょう。言葉の意味が一意的なら。
だから”Your English is good”に意味を見出すのも無駄です。
もちろん、文脈がめちゃくちゃ明確で「こういう時は必ずネイティブはこう言う!」みたいなプロトコルでもあれば話は別ですが…そんなものはないでしょう。
日本語だって「大丈夫です」ははいにもいいえにもなります。他の言語でも同じ。
だから、ネイティブにはこう思われてます!系の言説は信用しなくていいし、するだけ無駄だし、むしろ有害でさえあると思います。
互いの意志さえあれば人間は意思疎通ができる
そしてまた覚えておいていただきたいのは、言語というものが意思疎通においてどれだけの役割を果たすかです。
もちろんビジネスだとそうもいきませんが、日常において「言葉」を間違えたからといって意味が伝わらなくなるようなことはありません。
言葉が正確なほうが言うまでもありませんが…それ以上に「文脈」とか「表情」を我々は重要視します。ノンバーバル言語、というものです。
例えばウェイターさんがコーヒーを客の女性に運びます。躓いた!コーヒーが女性の、真っ赤なドレスにかかります。女性は言う「どうもありがとう!!!」
この場面、女性はどんな気持ちでしょうか?
1.コーヒーをかけてもらったことが嬉しい。
2.あまりにひどいことをされて、怒っている。
もしも「ありがとう」が「感謝」の意味であるとしか習わなかったのなら、我々は1だと答えてしまうでしょう。
でも、文脈的にそれはおかしい。コーヒーを自分の服にかけられて喜ぶ人などほとんどいない。
だからこれは「(どうも余計なことをしてくれて)ありがとう!」という、彼女なりの皮肉なのです。
これがもし、ちょっとMっ気のある男性が、女王様にムチで責められて「ありがとう!」というのなら、また話は別です。
それを喜ぶだろう、という推測があるから、感謝の意味になりえます。
というように、
言葉は絶対に文脈を離れて評価できないし、してはいけない(戒め)のです。
なわけで、皆さんに至ってはどうぞご自由に英語を話してほしいと思います。
日本人の「悪い」英語である”I’m fine, thank you”も、結局は文脈でどう取るかでしかないので「そんな英語ネイティブは使わない」みたいなのも気にしなくて構わない。
一応「病気ではないことを示すときにfineを使う」とは言われますが、例えば外国人に「今日はどう?」と聞いて「大丈夫、大丈夫」と答えられても、その人が元気だということはわかりますよね?
そんな感じ。
当然、文脈によっては使うし、地域差もあります。YouTubeで「使うことはない」とネイティブが言っていたとしても、それはその人が使わないというだけ。
そういうのを気にするのはまだ早くて、とりあえず「詰まらずに話せる」レベルまで到達するのが先だと思います。
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