愛知県知事リコール問題の闇
最近ネットニュースでよく出てくる「愛知県知事リコール問題」ですが、いったいそれはどんな問題なのか、なぜ起きたのか、そして何がいけないのかをわかりやすく解説してみます。
これを読み終わる頃には「なんでこんなことに…」となることでしょう。

愛知県知事リコール問題のきっかけ「表現の不自由展」
まず、一番最初のきっかけは「あいちトリエンナーレ2019」の出し物の中の一つの企画「表現の不自由展」でした。
表現の不自由は明らかに「表現の自由」をもじったもので、その名の通り「様々な理由によって展示できなくなった美術品を持ってきて飾る」という企画です。
芸術と表現の自由はバランスが難しいところがあります。
以前にも「めちゃくちゃ本物によく似た1000円札を(芸術として)描いたところ、これが通貨及証券模造取締法(偽札を作った人に適用される)に違反するとして裁判になった事件」とか、
「日本の芸術家であるろくでなし子氏が、自らの性器を芸術品として3Dプリンターに取り込み、これを配布したとしてわいせつ物頒布等の罪等の疑いで逮捕された」とか、
そんな感じの事件が起こっています。
まあそういう感じの「ちょっとひと悶着あった芸術作品を取り上げて、『表現の自由』について考えてもらおう!」という企画だったんですね。
色んな作品がありましたが、特にその中の「遠近を抱えてPart2」(PartⅡが正しいですがここではアラビア数字表記します)という作品、そして「平和の少女像」という作品が物議をかもしました。
「遠近を抱えてPart2」は22分間の映像作品で、その中に「昭和天皇の写真を燃やし、踏みつける」という内容があり、これが保守派にとっては「日本人に対するヘイト」にうつりました。
侮辱的、不敬だ、という声があがったのです。
そして「平和の少女像」は韓国の彫刻作家キム・ソギョン氏、およびキム・ウンソン夫妻による彫刻物で、日本と韓国の間でもめている慰安婦問題を取り上げたものです。

日本の最右翼保守派の中には「慰安婦問題は存在せず、自発的に(喜んで)彼女たちが体を捧げていただけだ」と考える人もいます。
一方で国家問題として日本が慰安婦問題を考えているのは明白で、1973年の「河野談話」では一応「当時の軍の関与のもとに」という条件付きではありますが、こういったことがあったと認めました。
少女像は彼女たち(慰安婦)が受けた苦痛を表現していました。
夫妻は「反日の象徴ではなく、平和の象徴です」と説明していましたが、やはりこの作品も保守派からの謗りを免れることはできず、同様に批判にさらされました。
「あいちトリエンナーレ2019」の中止
こうして多くの批判を浴びた「あいちトリエンナーレ2019」でしたが、事態は思わぬ方向に転換していきます。
開始3日後に中止に追い込まれました。
先ほど紹介した2作品がツイッターで大きく取り上げられ、主に保守派に拡散され、その一部が脅迫の電話、FAXをしたのです。
その中には「大至急撤去しろや、さもなくばガソリン携行缶持って館にお邪魔するので」と書かれたものもあり、これは京都アニメーション放火殺人事件を模倣したものと考えられています。
FAXを送ったのは50代の会社員で、のちに逮捕されています。
京都アニメーション事件の放火殺人死者は36名と、戦後最大に悲惨な事件です。
実現可能性が低かろうと同じ事件が繰り返されては責任を取れないので「あいちトリエンナーレ2019」自体を中止にするしかありませんでした。
大村知事と高須院長・河村市長の対立
この中止によって、ある「対立」があらわになりました。
愛知県知事である大村秀章(おおむらひであき)氏と、「高須クリニック院長」である高須克弥(たかすかつや)氏・名古屋市長の河村たかし(かわむらたかし)氏の間の対立です。
大村知事は「あいちトリエンナーレ2019」の芸術祭実行委員長で、高須院長はこれを中止させるために積極的に働きかけた人物でした。
そして河村市長ですが、彼も陣営としては高須院長側で、市が負担しなければならなかったはずのあいちトリエンナーレ開催費用の一部を「負担しない!」と言いだしました。
これによって実行委員会は市を訴えたため、河村市長も高須院長側につくことになりました。
もはや対立は明白でした。この対立は彼らを頂点とし、日本リベラル派と日本保守派のツイッターの対立をも巻き込み、ネットの言論空間上の一大案件となっていったのです。
高須氏・河村氏はこの後、大村氏を知事から辞めさせるため「リコール」という運動を起こしていきます。
大村知事リコール問題
この「リコール」とは何でしょうか。
自動車に関するニュースでよく聞くかもしれません。自動車においてリコールというと「何か不具合があったとき、メーカーが不具合のある車を回収し、自主的に修理する」ことを指します。
しかし政治におけるリコールとは「そこに住んでいる人達が署名などをして、代表をやめさせる」ことを指します。難しくいうと「解職請求」です。
リコールが行われた場合、選挙管理委員会はすぐにその事実を公表し、投票をしなければならず、投票で過半数の同意があったとき、代表者はやめなければなりません。
この例以前、都道府県知事がリコールによってやめさせられたような例はありませんでした(宇賀克也「地方自治法概説(第8版)」)。
リコールは住民の権利として認められており、しかも「こういう時はリコールにかけてはいけません」みたいな条件がなく、今回のような件でも一応、リコール投票にかけることは可能ではあります。
ともかく、高須院長と河村市長が結託し、愛知県民に大村知事のリコールを求めます。
リコールが成立するためには、まず愛知県の人口(当時613万)から算出される値である86万5000人ぶんの「リコール賛成」の署名を集める必要があります(これは地方自治法によるもので、議会の解散請求と同じ手続きです)。
しかも2か月でこれを行うのですから、大変です。
考えてみてください。86万人に2か月で投票を募るなど…。
リコールに際し、高須院長は保守派への投票を呼びかけ、精力的に活動をしていました。
ところが蓋を開けてみると…
愛知県知事リコールに大量の不正が発覚
まず、80万という数字には遠く及ばず、その半分である40万しか集まりませんでした。
しかも、その40万のうちの8割は無効票だったのです。
いったいどういうことか。
以下のようだったとあります。
愛知県の大村秀章知事のリコール(解職請求)運動を巡り、選挙管理委員会に提出された署名の83.2%が無効と判断された。不正署名は約36万2千人分に上り
疑われる組織的関与、成果誇示か 愛知知事リコール不正-日本経済新聞
署名には住所、氏名、生年月日に加え、押印もしくは指印が必要だ。
県選管の調査によると、無効と判断された署名の約90%は同一の筆跡とみられるもの、約48%は選挙人名簿に登録されていない人の署名だった。
疑われる組織的関与、成果誇示か 愛知知事リコール不正-日本経済新聞
図にするとお粗末さがわかります。

「同一筆跡」は保守派の多くが勘違いしていますが「一人で書いた」わけではありません。「複数人が分担して複数書いたものを集めると、それが無効票の9割だった」ということです。
なんにせよここまでお粗末なのも珍しいですね。「マスコミに世論を操作されている、俺たちが対抗しなくては」と言うわりに、実際に有効だったのはわずか10万人ほどの票なのです。
リコール不正は何がまずいのか
それでは、リコールに不正があると何がまずいのか。
まず、なぜリコールが認められているかを考えてみましょう。
それは「市民がよりよい民主主義を実現するため」です。民主主義(選挙など)で選ばれた人に不祥事や失言があって、トップとして据え置くにはあまりに信用がない…
そんなとき、地方自治者の一人一人である我々に「その人をやめさせる」権利が与えられていて、いつでもこれを行使することができます。
逆にいえば、いつでも市民から監視されているという意識が、地方議会や市長、知事の姿勢を正させるのです。
それでは、我々がこの権利を悪用したらどうなるでしょう。あまりに極端な例ですが、どこかの企業が莫大な金を投じて市民にリコール投票をさせ、そこの市長や知事を辞めさせることができたら。
もうそんなの「民意」もクソもないですよね。民主主義といいながら実状はマネーゲームです。そんな状況でまともに政治をしようなんて、知事や市長側も思うはずがありません。
むしろその企業にすり寄ったほうが辞めさせられずに済むのですから。
リコールになぜ(住所、名前、生年月日、捺印の)署名が必要なのかも考えてみましょう。
もしこれが名前だけなら、しかもいくらでも仮の名前で投票できるなら、不正をしたい側がそれを悪用できてしまいます。そんな風に集めた票に信用はありませんね。
自分の正式な名前、住所を一人ずつが書いて、ハンコまで押すからこそ「重み」が生まれるわけです。
しかもこの名前や住所は、一つ一つ選挙管理委員会が住民票と照らし合わせて確認までします。それほどのことをしてても「虚偽」を防ぎたいのです。
これだけの人数がお前を辞めさせたいと言っている、観念しろ!という重みが。
当然、リコール投票に際し、例えば「家族の代わりに全員分の署名を書いておく」ことは禁止されています。
ちょうど選挙の代理投票みたいに、厳正な手続きを踏まなければなりません。
例えば「有名人の名前を勝手に書く」とか「家族の名前を勝手に書く」と法律(有印私文書偽造)に抵触します。
大村知事のリコール・解職請求に向けた署名活動を行った団体が弥富市選挙管理委員会に提出した署名簿の中に、署名していないにもかかわらず大原議長ら5人の市議の名前があり、いずれも指で印が押されていた
愛知県知事リコール署名簿に 無断で名前 市議5人が告訴- NHK政治マガジン
リコール運動はchange.orgのような生易しいものではありません。票を集めるのも、それが正当かどうか確かめるのも手間がいるわけで、票の偽造は普通に、ごく当たり前に罪になります。
なぜなら、よい民主主義を汚すからです。
高須院長の「聖域」にメスが入るか
大原議長ら5人は、名前が勝手に使われ署名を偽造されたとして、地方自治法違反や有印私文書偽造・同行使の疑いで3日、容疑者不詳のまま名古屋地方検察庁に告訴状を郵送
愛知県知事リコール署名簿に 無断で名前 市議5人が告訴- NHK政治マガジン
容疑者不詳のままとありますが、告訴状が提出された以上、警察も捜査しないわけにはいきません。
県選挙管理委員会は15日、地方自治法違反の疑いで県警に刑事告発した。被疑者は不詳としており、県選管は告発の理由について「民主主義の根幹を揺るがしかねず、看過できない」としている。
リコール署名不正で刑事告発 被疑者不詳、8割超無効か―愛知県選管
これまで高須院長は不正リコール問題を「左翼の工作運動」だとしてきましたが、いよいよその聖域にメスが入ります。
運動を展開した事務局が名古屋市の広告関連会社にアルバイトを募集するよう書面で依頼していたとみられることが16日、関係者への取材で分かった。
募集内容などを記した「発注書」が残っているという。
バイトの動員を書面で依頼か
これまでわかっていることとして「バイトを雇って佐賀県で書かせていた」ようです。これさっきあげた「企業がマネーパワーで票を大量生産する」ですよね…。
名簿書き写しのアルバイトに参加した福岡県久留米市内の契約社員の男性(50)が本紙の取材に応じた。
男性は登録している人材紹介会社から「簡単な軽作業」「名簿を書き写すだけ」との趣旨の電子メールを受け、十月中旬から下旬にかけて佐賀市内の貸会議室で、時給九百五十円で作業をした。
【独自】署名偽造、バイト動員か 愛知県知事リコール、広告下請け会社が求人
そして、この票集めを行うときに使った募集サイトが(2021年2月16日9時半現在)まだ残っています。
このサイトによれば「西東京ポストサービス」が請け負っていたようです。いったいどんな会社なのか。調べてみると「株式会社SDR」なる企業がヒット。

そしてこの企業のドメイン名は”nagoyapost”(名古屋ポスト)…ふーむ。神奈川県厚木市の小さな会社がわざわざ佐賀県で数百人を雇って「名前を書く仕事」をさせた…?
いったい何の意味があって?(佐賀県は最低賃金が安いので佐賀なんでしょうけどね)
ふーむ。遠く離れた佐賀の地でやってたのはこういう理由か。汚れ仕事は地方民に任せとけってか、クソだな。
ちなみに高須院長はこれまでに「工作員による不正があったことの決定的な証拠がありました!」と何度もツイートしていますが、その証拠とやらが何なのかは全く見せてくれません。
有効票の中に8割の無効票を紛れ込ませる(とかいうレベルじゃないけどな)ほどの工作に気付かないなら、もうそれは担当者さんたちが工作員なんじゃないですかね…?
むしろ、名簿表の溶解(リコール票に届かなかった場合は個人情報を守るために溶解します)に異様なまでの執着を見せてるとか、選挙管理委員会の調査に猛反対するとか…
高須院長がアヤシイという根拠はたっくさんあるんですけどねえ。
「不正が大嫌い」と主張するのは結構ですが、さすがに「左翼工作員が紛れ込んでいた」なんてのはもう苦しいですよね。
紛れ込んでたとしてそれに気づかないなら味方側が無能だし(というかリコールに届かないのに工作をやる意味ないでしょ)、そうでないとしたらますますやばいし。
これからどう出るんでしょうか。ともかく警察には徹底的に捜査してほしいと思います。
追記(2021年2月16日15時00分)
不自由の原発問題(放射能が出てるよ)は私も実際に聞きました。こちらの記事に詳細が書かれています。
記事によれば、このセリフは「福島原発の被害者が、自らの不安を断ち切るための叫びだった」ということです(解釈問題なので、これ以上は踏み込みかねます)。
戦死した方への揶揄ですが、こちらは画像からその意図が読み取れませんでしたので、追って調査します。
昭和天皇の写真を燃やした映像の件ですが、これには経緯があるようです。
昭和天皇のコラージュ(写真)を富山美術館が持っており、それを保守派が「燃やせ」と抗議したため図録を焼却…この再現をすることで、言いなりになった富山美術館(と抗議した保守派?)に抗議したという流れ、ということらしいです。
芸術は文脈を離れると空虚になってしまうので、背景について補足しておきました。
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