親世代、祖父母世代の人種差別の解消は難しい、と思った日

倫理学
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父母、祖父母の差別意識の解消は難しいのかもしれない

この記事を読む前に、「「差別に反対する」「差別をなくす」のはそもそもめんどくさいので、反対意見もよくわかる」を読んでいただけると話がよりわかります。

どうすれば年上世代の差別意識を「是正」できるのか

先日、自分よりも数十歳年上の知人Aと食事をする機会がありました。

竹を割ったような性格で、いつも私によくしてくださるし、快い付き合いができていただけあって、食事中に彼が話したエピソードは衝撃的でした(今思えば人間の内心や思想なんて、表面には普段、析出しないのですけど)。

それは、彼の職場に中国人が入ってきたようで、その中国人にわざと「きつく」あたっていたら、彼の上司に苦情が(その中国人から)入った、というエピソードでした。

例えば、旅行した後のおみやげをその人だけには渡さないとか、挨拶をしないとか、そういう程度(された側は相当辛いでしょうけど)のものではあります。彼は「別に殴ったわけじゃないんだし」と述べていましたが…。

もちろん、その中国人は何か悪事を働いたのではありません。あくまで一方的に無視しているのだと。

さて、ここで(普段、仮にも「反差別思想」を掲げる)私が取るべきだった行動は何でしょうか。

もちろん「正論」としては「そういう奴は切るのが正解。その場で立ち上がって、『お代は自分で払います。さようなら』と絶交する」なんでしょうね。

わかります。そんな奴は切ったほうがいいだろう、ってことは。

ネットでこういうことを書くと、お前は反差別思想なんだろ、だったら差別主義者とは絶交しろ、と言われてしまうでしょう。しかし私は立ち上がれず「そ、そうなんですね…」で済ませてしまったのです。がっかりでした。

それは失望、怒り、諦め、情けなさが混じったものでした。

暴力じゃないにしてもそんなに陰湿なことを(いい年した大人が)やるなよ…とか、なんでその人は悪いことしていないのに無視するんだよ、とか。

でも一番大きかったのは、普段から「差別を少しでもなくしていきましょう」とネットで息巻いている私が、いざという時に全く行動できなかったことへの情けなさでした。

いや、もちろん、消極的にではありますけど、反差別活動をしてはいるのです。それは「人を人種とか性別とかで判断しないように心がけたいな」という内心の善の意識に従った行動です。

でも、より「正しい」のは、こういう場面で立ち上がって、毅然と「ノー」を突き付けられる人なんですよね。積極的な善人。

今回は、自分のことを棚に上げて、いったい年上世代の差別意識をどう「是正」できるかを考えてみたいと思います。

是正なんて強い言葉使いやがって…自分だけが正しいと思うなよ、と感じた方はこちらの記事をお読みください。反差別を実践しようともがいている私が、反差別ってめんどいよね、気持ちわかる、って思ったことを書いてます。

嫌な経験に基づく差別がある

実は、このエピソードのことを別の年上世代の知人Bに話したら、「確かにそういうのは大人げないよね」と前置きされた上で、以下のようなことを言われました。

「でも、若い時に中国人から何か許せないことをされたら、そうなってしまうのも分かる気がする」と。

それを聞いて私はナットクしてしまったのです。

実際、差別をしていた知人Aは、インターネット上の自称保守派のように「中国が日本に攻め入るから」とか「中国人は全員差別してよいから」なんて言っていたわけではありません。

中国人とかかわったわけでもないのにネットを信じて「中国人が許せない」と主張しているというより、何か嫌なことがあったので仕返しをしている、というニュアンスでした(そもそも知人Aはネットにめちゃくちゃ疎いです)。

この話は以前に書いたこの記事にもあります。

自分の息子をA国の人に殺されてしまった父親がいるとします。この父親は、それでもなおA国の国民を愛さなければならないのでしょうか?

https://withtulpa.com/its-too-lazy-to-eliminate-discrimination/

もちろん、相手が違うのです。悪いことを自分にしてきた奴と、職場にいる中国人は相手が違う。

復讐すべき相手を掛け違えるとお互いにとって不幸になる。

でも、そうやって論理で矛を収められるほど、人間は心が強いわけではない

以前、(誰かは忘れましたが)自分の娘さんを交通事故で亡くしたアスリートが「いまだに車を許せてない。もう自分が運転することはない」と言ってましたけど、そういう心境の変化は確実にあると思うんです。

「相手が違うぞ」だけでは収まらない感情がある。

以前、こちらの記事で書いたような経験をしてきた子も、日本のことが嫌いになってもおかしくないと思います。

中国から帰国した転校初日、自己紹介の時に先生に「中国語話してみて」と話したところ、クラス中から爆笑された、という子です。

もしその子が自分の息子だったとして、泣きながらそういうエピソードを話して「もう日本に住みたくない」「日本人は嫌い」と言い出したとしてですよ。

そこで「そういう人ばかりじゃないから」「復讐すべき相手を間違えてはいけない」とは、私はとても言えません。

それほど壮絶なエピソードがあったなら、一部のエピソードだけで国全体を嫌う人がいてもおかしくないですし、現に韓国や中国で反日運動が行われているのは、過去の植民地支配による遺恨があるからです。

嫌な経験は、年上世代の方が多い

私は「差別してもよい」と言いたいのではありません。あくまで理想としては反差別を掲げるしかないのだけど、そこまで心が強くない人もいるだろう、ということです。

そして知人Aはきっと、そちら側なのだろうと。

知人Bが「差別もしょうがない」という意見になったのは、また彼自身も中国人からめちゃくちゃなことを外国でされたからなのだそうです。

どうせ現地語はわからないだろうとめちゃくちゃにお土産屋でぼったくられ、「知人がしてる安い料理屋を案内してあげる」と言われてついていったら現地の数倍の値段のレストランを案内され、「ここは高いから食べない」と英語でいうと中国語で何かボロクソに言われ。

そういうことがほかに何回もあって「自分は中国人を信用できないな」と思ったのだそうです。

こうした「嫌な」経験は、私よりも年上世代のほうが確実に多いのでしょう(特に戦争を経験してきた世代はね)。

逆にいえば、私が反差別を唱えられているのは、こうした嫌な経験がないからなのかもしれない。

極端な話、自分の郷土を焦土にされ、家族や親友を殺されたと。そんな経験をしている人達が、敵国をなお赦し、愛せるのでしょうか?

もちろん論理としては「赦さなければならない」のかもしれない。赦さなければ血で血を洗う凄絶な内紛や戦争が繰り返され、全員が死ぬしかなくなります。

自分の娘を慰安婦として奪われ、日本を憎む人に対しても、日本人として「差別は駄目です」と言えるのでしょうか?

もちろん論理としては「言わなければならない」のかもしれない。言わなければ被差別者が差別を生みその差別が別の被差別者を作る、みじめな世界になります。

でもだからといって、こちらから矛を収められるほど心は強い人間は多くない。だからこそイスラエルとアラブ諸国が憎み合っているし、東欧で民族浄化が起きたし、韓国や中国で反日運動が起きている。

相手(の国の人)にひどいことをされたという経験が「相手が自分を嫌っているのだからしょうがない」という形式のありがちな弁解を生み、個人の心の中で氷解せずに残っている。

実際のところ、反差別がいかにネットを覆おうと、こうした素朴な経験のほうが何倍も強く衝撃を与えます。

よって、年上世代の差別心を一方的に「どんなことがあっても差別は駄目だ」と簡単に断じてしまえるのも、それはそれで人心を無視した、暴力的すぎる論理であると感じます。

もちろんそれが反差別思想として「正しい」ことには変わりありませんが、正しさだけでは人は動かないのですよね。

戦争をおっぱじめた二国間に割って入って「戦争をやめなさい!憎しみの拡大再生産をやめなさい!」と言える覚悟があるのか、という話です。そしてその覚悟が自分にないのなら、あまり地に足のつかない言論を振り回すべきではない、と思います。まず、できることから。

少なくとも私はそこまで清潔な思想ではありません。身近にいる差別者に「そういうのは差別ですよ」と言うことさえできなかったのですから。

ニュートラルな意識である若者世代に期待したい

しかし、希望はじゅうぶん残っています。

日本では13年からの5年間で韓国への印象が「良くない」または「どちらかと言えば良くない」と答えた人の割合が37.3%から46.3%に増えたのに対し、韓国では日本への印象が「良くない」または「どちらかと言えば良くない」と答えた人が、76.6%から50.6%に急減

https://dot.asahi.com/aera/2019022700015.html?page=1 赤字は筆者

60代以上の年配者は政治情勢を踏まえて韓国を嫌いだと感じる「嫌韓」意識を持つ人が多い一方、10~20代の若者は比較的好意的

https://www.sankei.com/life/news/190603/lif1906030002-n1.html

文化的な交流が進む若者間では、次第にこうした問題についてニュートラルな見方をする人々が増えている、あるいは多いようです。

私も相対的には若者世代であり、以前韓国に行っていますが、日本語で話しかけられて親切に道を教えてくれたり、おごってもらったりしました。一方で日本に旅行に来た韓国人を助けたこともあります。

嫌だと思った経験を積んでいる年配世代と異なり、良くも悪くも相手国に対して中立的・好意的である人が増えてくれれば、そのぶん対話の可能性は上昇するでしょう。

少なくとも私はそう思いますし、私もその一員でありたいと願っています。

中には「国としてはいがみ合ってるけど、相手の文化を尊重したい」という人もいるでしょう。そして私は、その程度でよいのだと思います。

同じ思想になんてなれないし、どうしても相いれない部分があるから異なる国同士なのです(完全に思想や体制が同化したら合併するでしょうし)。同化せよと言っているわけじゃなくて、相手の国がそこにあることを認める、異なる価値観があることを放置する、復讐の相手を間違えない…。

まだまだ先は長い気もしますが、ちゃんと道は見えています。

今のところ(行動に移せなかった)私が反差別について言えるのはそれぐらいです。世界から差別をなくそうなんて、そんな大仰なセリフは間違っても口にできません。

だけどちょっと、それもあるのですけどね。

出来れば世界を僕は塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな

ASIAN KANG-FU GENERATION 「転がる岩、君に朝が降る」

以下は参考記事です。

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