「ただしイケメンに限る」は間違いなくあるけど、だから差別がOKということにはならない

倫理学
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ただしイケメンに限る!

今日はみなさんに残酷な事実をお伝えしなければなりません。

「※ただしイケメンに限る」は存在します。

間違いなく。腹立ちますし、むかつきます。こんなの、自明すぎる話です。生まれつきの属性で人を判断するな!って思いますけど、でも事実です。

外見によって有利・不利を設けることを「ルッキズム」(lookism)といい、差別とされています(誰が差別と認定するのかですが、まあ…「ルッキズム」ってググればそういう言説は山ほど出てきます)。

そんな素直な、本能的なレイヤーでの価値判断さえ「差別」と糾弾されちゃ、たまったもんじゃないですね。世知辛い…。

この記事では「ただイケ」が(わりと自明に)存在していること、なくすのはめちゃくちゃ困難であること、だからといってルッキズムが許されるわけではないこと…を主張していきます。

集合体恐怖症(トライポフォビア)がある理由

集合体恐怖症(トライポフォビア)という単語をご存じでしょうか?蓮の花とか水泡のような「ぶつぶつ」に嫌悪感を覚える人間の感性のことです。

人間には「そういうものを気持ち悪く感じる」ようにプログラムされてるというか、そういう本能がある…といわれています。

ぶつぶつを気持ち悪いと思う理由は「寄生虫の群れ」を意識するから(2017年、ケント大学のトム・クップファー教授による論文)らしいのですが、まあ、人間も生物だからしょうがないですね。

それではここであなたに、残酷な質問をひとつ。

「ニキビがとても多い人」と「肌がとても綺麗な人」が全く同じ骨格だったとして、どっちが『イケメン』と評価されるでしょうか?

私は思春期のころニキビがひどかったですが、自分で鏡見ても毎朝「うわっ」となってました。

多くは「肌がきれいな人」「ニキビがひどい人」で差をつけちゃうと思うんです。だからこそ「ニキビのない肌へ!」って触れ込みの化粧品が堂々と売られています。

もちろんこれはルッキズムという差別ですが、人間としては『自然』な感性なんですね。だから厄介だし、なくすのが難しい。

差別しちゃうんですよ、人間って。あなたも私も。

体臭や口臭がすごい人に対する差別

体や口が臭い人がいます。ときに汗、ときに病気、ときに食物、ときに香水によって臭くなります。原因は問いません。とにかく、臭いのです。

いや、生きている以上、ある程度の臭いは許容しなければならないでしょう(ずぶ濡れの犬なんか、ものすごいにおいを発していますからね)。しかし、それが度を越すと、近づいただけで「うっ!…」ってなるレベルの汗臭さの人とか、ワキガの人とか、口臭の人とか。いるじゃないですか。

もちろん本人には言わないですけど。病気の可能性もあるし。

では、においが強い人とにおいがそれほどない人では、どっちと一緒に働きたいですか?

私なら、体臭がない人選んじゃいます。そこで「いや!私は体臭で人を決めつけない!」って断言できる人がいるとしたら、すごく良心的で善意に溢れている人なんだろうな、と思います。もちろん本心としてです。尊敬します。

私はどうしても匂いによって人を決めてしまいます。そして多くにとって、その決定はより「自然」でしょう。

ニキビや体臭のような例でわかるように、本能的な不快感が大きいものと少ないものでは、我々は少ないものを選んでしまうのでしょう。

整形前後の評価では、明らかに整形後のほうが高かった

もっと露骨な例があります。

2019年にJAMA Facial Plastic Surgeryという雑誌に投稿された論文です。

“Evaluation of Personality Perception in Men Before and After Facial Cosmetic Surgery”(男性の顔面整形前後のパーソナリティ評価)というもの。「整形の前後でその人間への評価がどれぐらい変わるか」という、かなり露骨な調査。

詳しくはリンク先を読んでもらえればいいんですが、予想通りというべきか、整形後の顔のほうを「よい人格だ」と評価する傾向にありました。実際には性格なんてまったく変わっていないのに。

The results of this study suggest that men undergoing facial cosmetic surgery may experience changes in perceived attractiveness, masculinity, and a variety of personality traits.

(この研究の結果は、顔の美容整形を受けている男性は、知覚される魅力、男らしさ、およびさまざまな性格特性の変化を経験する可能性があることを示唆しています)と述べられています。

エビデンスが強いメタ分析の論文ではないので信憑性がすごく高いとは言えませんが、この論文は「整った容姿の人間の人格を高評価しがちである」という、ある意味当たり前の価値観…人間に備わった本能を示唆しています。

「外見が優れている人のほうを優れた人格だと評価する」バイアスが、我々人間の中に『自然に』存在することを認めなければならないでしょう。

差別心は本能や言語化不能な領域にある

「ただイケ」の例ひとつとっても、差別をなくすことがいかに困難なのか、ある程度わかります。生物としての本能に抗っていこうと、常に自省を行い続けることだけが、差別廃絶運動を(完璧ではないにしろ)可能にします。

そんな人が果たして人類に何パーセントいるのか、自称「反差別」側の醜い主張を見聞きすると疑わしくもなってきますが…ともかく、差別を行わない人間はいないこと、あなたも私も決して、その例外ではないことがわかっていただけたかと思います。

反差別主義者の中には、自分が差別をしていないことを認めたくないがために、事実を捻じ曲げてしまう人がいます。今回の例でいうと、「ただしイケメンに限る、なんてあるわけねーだろ!」と主張してしまう人たちです。

いやいやいや、無理だから…。すべてのバイアスを排して他人と付き合うなんか、人間には無理だから…。

もったいないな~と感じます。事実は事実として、論文を引っ張り出せば山のように出てくるので、そこは認めなくてはいけないんですよね。

そうでなくとも、世の広告に溢れている価値観(「美しいことはよいことだ」「お前もこれを買って美しくなれ」)と自分の脳内の「正しさ」を天秤にかけることだって、できるはずです。

そういった努力を放擲して「差別はんたーい!」と主張しても、頭お花畑との罵りを免れないでしょう。

常々私がこのブログで口にしていますが、本当の反差別というのは、目の前に広がるクソの山を目にして「さてどこから…どこから片付けようか…」と絶望しながらも、足元の、自分のクソを片付ける苦行なわけです。

インターネットでハッシュタグつけて差別はんたーいと叫べばなくなるものでもありません。

で、大前提として、誰にでも芽生える差別心を自覚するところから、すべては始まります。

「ルッキズムなんてない!」ってのは決して「ルッキズムなんてあっちゃだめだ!」とは異なります。後者は首がもげるぐらい頷きますが、前者は単に差別を矮小化しているだけに過ぎません。

まず「そういうものがありますよね?イケメンかどうかで判断しますよね?」ってことを認めなければならないんです。そこを認めない限り差別心なんて絶対なくせない。

自覚すれば治せるってもんでもないですが、自覚しなければ絶対に治らない。

思想を前に前にちょっとずつ進めるためにも、皆さんの合意が必要なんですな。

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