自由恋愛主義は優生学的なのか、障害者の未婚率の高さから考察した

倫理学
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自由恋愛と優生学

自由恋愛って劣った者を排除し優秀な遺伝子を選別してるんだから優生思想だよね。くじ引きでパートナーを決めるべきだよ
自由にパートナーを選別した結果、魅力的ではない劣った遺伝子を排除してるよね 国家が組織的にやってるわけじゃないから優生思想にはあたら…

自由にパートナーを選別した結果、魅力的ではない劣った遺伝子を排除してるよね 

国家が組織的にやってるわけじゃないから優生思想にはあたらないと反論するだろうけど個人の選別の結果で劣等者、障害者、病人が淘汰されてる事実は変わらないよ

内閣府の平成25年障害者白書によると障害者の未婚率は、身体障害者が35.4%、知的障害者が96.7%、精神障害者が63.9%

せめて、自分たちが自由恋愛の名のもとに選別していることぐらいは自覚するべきでは?

挙げ句にはRAD野田の考えをナチスと同じだとして、無邪気に「人間の愛と恋と幸せと自由」を掲げて批判するエグいツイートがバズってる

自由恋愛のロマンチックな響きでごまかしてるけど、その”人間”の愛と恋と幸せと自由のために淘汰されている人にとってはナチだろうが恋だろうが一緒だよ

赤字太線は私が行ったものです

自由恋愛によるパートナー選択って本当に多様性ある価値観に基づいて行われているのかな

より魅力的な人間を求めて選別する自由競争なだけでは?

どのような人間を魅力的とするかの価値観は個々人である程度のばらつきがあるだろうけど、全体の傾向の結果として健常者と障害者の未婚率に大きな差が出来ているのが事実だよね

自由恋愛によるパートナー選択がくじ引きによる選択より多様性をもたらすとは思えない

赤字太線は私が行ったものです

>Outkast 自由恋愛では「優れた人」でなく「好みの人」を選ぶのでセーフ

個人による選別が許されているのはおそらくこの建前によるものだけど、上記の数字に現れているように、現実では選ばれる「好みの人」の多くが「優れた人」という結果になっている

赤字太線は私が行ったものです

なかなか難しい問題ですね。

自由恋愛主義の優生学

まず事実として、以下の3つがあります。

  • 事実として自由恋愛における優生学的選別は行われている
  • 国が行うか自分たちで行うかは本質ではない
  • 多様性とは言うが現実問題「優れた人」が選ばれている

これらはもう、如実にデータが物語っていて否定できません。

だからあとは「これは優生学なのかどうか」だけです。

「国が行うのも自分たちが進んで行うのも大した差がない」は元記事に理由が書かれてます。

「選別される側からしたら違いはないから」。まあ…そうですよね。差別される側からしたら、差別する側の「合理的だからしょうがない!ゴメンね!」なんて、到底受け付けられませんよ。

私も少年愛者として生きてますけど、目を疑いたくなるような差別発言を「子どもを守るためにはしょうがない!」といって聞かされたことがあります。

それはおいといて、この「障がい者と結婚しない自由恋愛は優生思想ではないのか?」について論じてみましょう。

国が押し付けるのか個々人が行うのか

まずその前に前提を確かめておきましょう。先ほど私が提示した「3つの事実」を再掲します。

  • 事実として自由恋愛における優生学的選別は行われている
  • 国が行うか自分たちで行うかは本質ではない
  • 多様性とは言うが現実問題「優れた人」が選ばれている

このうち二つ目の「国が行うか自分たちが行うかは本質ではない」について反論があったので、その反論を最初に突き崩しておきましょう。

まず「国が行うのが駄目なのは、国が人権を無視しているからだ」というもの。一見よさげな反論に見えますが、なぜ個人対個人だとOKになるのか?を論じていない点で無意味です。

この反論は、国が行うのは優生学的だから駄目である、という部分の補強にしかなっていません。

個人、たとえば私やあなたの自由意志の総体として結果的に障がい者の人権を損ねているだろう、という部分に議論が及んでいないのです。

またもう一つ別の反論として「国主導だと遺伝的多様性が担保されないから駄目だが、個々人だと色んな見方があるからOKだ」というのもありました。

こちらは遺伝的多様性に的を絞り、個々人に恋愛を任せた場合(自由恋愛)遺伝的多様性はちゃんと保証されるから、国主導の優生学と違って優生学になり得ない、とするものです。

私はこの反論はかなり苦しいと思っています。元記事の人がデータで示したように、特に知的障がい者の未婚率は一般人、あるいは身体障がい者のそれと比較してかなり多いのです。

国主導だろうが個々人の自由だろうが、現にデータとして「障碍者と結婚したくない人が割合多い」というのは現れており、

「いや個々人に任せちゃったら遺伝的多様性なんて有って無いようなものだろ」と反論されれば、それで終わりです。

遺伝的云々の論点から元エントリを突き崩すことは不可能で、この反論もまた的外れだと思います。

優生学とは過程なのか結果なのか

私が色々論点を整理すると、この問題は結局「優生学は過程の思想が問題なのか、それとも優生学を行った後の結果が問題なのか」に行きつくと思いました。

「過程の思想が問題だ」と述べる人は

「優生学というのは結果がどうであれ思想そのものがヤバい。なぜなら、国が人権を無視して遺伝子の良しあしだけで個人を規定するからだ」と考えています。

一方「結果が問題なのだ」と述べる人は

「国が行うかどうかは本質ではなく、障がい者など『選別の末に見棄てられる側』からすれば、自分の遺伝子を残しにくいという結果になるからヤバい」と考えています。

どちらも「優生学は駄目」という部分では一致していますが、この考え方の差が、この問題を優生学的とするかどうかの差に繋がっています。

前者は「自由恋愛だと多様性が確保されるし人権も守られてるからオッケー。自由恋愛は優生学的ではない」という論理で、

後者は「自由恋愛であろうが多様性は確保されておらず、人権が守られていない」という論理です。

そして私は難しいながらも、どちらかというと後者寄りの立場です。言われてみれば自由恋愛は優生学的だし、その萌芽が一人一人の心の中に内在していると考えています。

こりゃあ難しい話ですよ。だって考えてみてくださいよ。

自分が障碍者と結婚したいのか?

あなたは「障碍者と結婚したいですか?」

健常者と障がい者、スペックが同じ人が2人いて、2人から求婚を迫られている、あるいはどっちに告白しようかこっちが迷っている場合。

あなたはどっちを選びますか?

こんな問いを立てること自体が差別的という謗りは受け入れますが。

多分、多くは前者を選ぶんじゃないですか?

あるいはこう尋ねてみてもいいかもしれません。

「スペックが同じ健常者と障がい者がいた場合、障がい者を選ぶ人のほうが多いと思いますか?」

この問いを立てることについて差別主義的だ、という憤りはごもっともですが、上の二つの問いに自信をもって「はい!」と答えられる人が、いったいどれぐらいいるんでしょうか。

自分の情けなさ、みっともなさ、差別してしまう心を覆い隠して他人を非難するのは、反差別主義者が一番やっちゃいけないことです。

自分の心の中の差別心を言語化してみるなら、私は結局「障がい者より健常者を選びます」と残酷にも言えてしまう。

私自身が性的少数者で、少数派の痛みや悲しみをわかっているはずなのに。

優生学なんて言うから大仰に聞こえるのであって、その根は結局「なんとなく好きか嫌いか」の話なんです。

障がい者のことなんてなーーんにも知らないのに、こんな選択を平気でできてしまう。

白人が有色人種を軽蔑したのは間違いなく無知と優生思想によってですが、それと同じことを健常者は障碍者に対してなんとなくやってるんです。

めちゃくちゃマイルドでそう見えないけど、言われれば優生思想だなこれ、ってなりませんか?

もちろん「自由欺瞞恋愛主義」と「優生思想」の間に明確なボーダーラインがないのも事実だし、だからこそ議論は紛糾してるんですけどね。

元エントリには「そんなのは屁理屈だ」というコメントも散見されますが、私にとってはどうにか言い訳して「自由恋愛市場は優生思想でない」としてしまうことのほうが屁理屈だと思いますし、差別心を言語化できていないと思います。

障害者も選ぶ権利があるので、この議論はもともとおかしい

実質的な性的不能者として一言申し上げておくと、障がい者にだって相手を選ぶ権利はあります

くじ引きで選ばれた相手と付き合えなんて、障がい者側にとっても人権無視でしかない。

こっちから願い下げです。嫌です。

恋愛なんて興味ない、したくないって人も世の中にはいます。

全員に「あてがう」発想がグロテスクなのは言うまでもありません。

ちなみに優生学はここでも考察してます。ご覧ください。

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