フェミニストへの攻撃に使う「お気持ち案件」は無意味である、なぜなら

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お気持ち案件とは全ての言論のこと

『警察呼ばれても反省しない人々へ 夜中にマンションで騒ぐ人に宛てた切実な訴えを描いた漫画に反響多数 - ねとらぼ』へのコメント
この記事に対して166件のコメントがあります。人気のあるコメントは「ごめん内容薄すぎて驚いた」、「切実なのは分かるんだけど最後のコマでものすごく普通のことをドラマチックに言っててちょっと笑ってしまった。知人は隣がうるさいときはチベット密教か何かの読経の音源を大音量で流して対抗してたな」、「別に反省とかしてくれなくていい...

この「共感性表現ばっかりだな」ってのは根拠も何もありませんが、それこそ「共感」できる部分です。

確かに「本当につらかったんだ!つらかった!」というツイートが毎回流れてきますし、それはたぶんツイッターが人気になったことと無関係ではありません。

2ちゃんねるのような自分語りダメ絶対系の掲示板では、自分「だけ」の感情を大っぴらに出すことが恥だとされてきたように思います。

むしろ場に合わせた発言をすることがよいとされてきました。全体的にいえばそれが反韓・反中思想であり、反マスメディアであり、反女性でした。

これらについてはいくら主張しても(極めて強度の呪いでも)支持される一方、それと違った自分「だけ」の感情を持つと、ボロカスに否定されました。

そうでなければ「こういうときにはこうしよう」というお役立ち情報を、親切にも教えてくれる人がいました。

自分だけの気持ちが尊重されるようになると、それについて反感を覚える人間もいます。

それが最近の「またお気持ち案件か」という言葉です。特にこの用語は最近「フェミニストを攻撃するとき」に多用されます。フェミニストが「傷ついた」「女性の尊厳が毀損されている」と主張するとき、反フェミニストが口にします。

お気持ち案件とは

辞書にはないのですが、一般的に「お気持ち案件」とは

「自分が傷ついたことを理由に、他人に言動の変更を求めるような案件」

これが使われるのは決まって揶揄の場面です。類義語に「繊細ヤクザ」があります。

繊細な価値観を持つ故、他人のちょっとした言動が気になり、すぐに怒ったり悲しんだりする、当たり屋みたいな人のこと。

冒頭で引用した人は何となく、この「共感性表現ばっかり」という言動に嫌気がさしているのではないか、と感じました。

その感想自体は別に否定も肯定もしないのですが、もしこれを読む人の中に「なんで言論はお気持ち案件ばかりなんだ」と思っている人がいたら、私はこう言いたいと思います。

「言論はそもそもお気持ちからスタートするものです」と。

全ての言論はお気持ちでしかない

インターネット上で感情を出すことは悪だ、論理的に科学的に正しく行こう、という風潮があまりに強いように感じます。

極端な例え話をします。科学的な言論が全て正しいのだと仮定すれば、今すぐあなたのパソコンかスマホかを投げ捨てて自殺したほうがよいでしょう(一応ですが、これは本心ではありません)。

なぜなら人類は地球上の様々な生物を虐殺し、今も利用し続けているからです。もし人類がいなくなれば生物の多様性は保たれ、地球温暖化も数万年後には何事もなかったかのように落ち着くでしょう。

もちろんこれは「科学」の意味をかなり露悪的に誤解して取ったものなので真に受ける必要性もありません。しかしあなたはこの極論に「感情」以外で反論できますか?

「感情を蔑ろにすることへの反感」が心のどこかにないでしょうか?

私は、全ての言論はお気持ち案件だし、それで構わないと思います(もちろん本来の語義に「相手の言動の変更を求める」があって、それは無条件に認めたら駄目ですが)。

もしお気持ち以外の何か、論理的に正しい事実のみで構成された反論があれば、ぜひ私にコメントで教えてほしいです(「人類がたくさんいたほうが地球環境にとって得である」というエビデンスですよ)。

お気持ちであってはならないのなら、何ならいいのか?法律?憲法?それともデータ?

「ルール」とか「法律」とか「データ」だって、宇宙人や唯一絶対神から与えられたものではありません。それらも人間が作ったもので、解釈するのは人間です。そこに感情が入るのも当然です。

誰かが正義を標榜し「これだけは絶対に許してはならない」と述べたとき、それに対して「またお気持ち案件か」と主張するのはこれ以上ないぐらいに意味がない行為なんです。

それならむしろ、いかに過激であっても正義を唱える人のほうがありがたみがあるというもの。

その正義とやらが私の価値観に反していれば、私は批判します。でもそれは、私が「意見を感情で述べてはならない」ことを主張するものではありません。

感情で意見を述べられることのありがたさを認め、そのうえでこちらも「お気持ち」でぶつかっていくのみです。

お気持ち案件と性差について

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