「努力しないのは甘え」派と「努力は環境で決まる」派の対立が起こるわけ

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努力は才能なのか、本人の頑張りなのか

「努力しない=怠け」は過去に成功した人の発想であって「なんで努力しないの?」という言葉は時には呪いになるかもしれないという話
まとめました。 更新日:1月13日11時54分

こういう意見は毎回Twitterで流れてTogetterに行くお決まりなので、ちょっと意見を述べてみます。

「努力」の定義は難しい

世の中には、どんなに議論を尽くしてもお互いに分かり合えないことが山ほどあります。努力の話もその一つだと考えています。

ものすごく乱暴に言えば「努力の定義があいまいすぎるから」なのですが、不思議とその意見が出ることはほとんどありません。

私もこの人の考え方に近いのですが、今回は自分をメタ化して、両方の立場からの意見を考えてみましょう。

努力を「自己を客観的または主観的に成長させるために必要なもの」と捉えてみましょう。

この「または」がミソで、どちらか片方でも成長するなら努力とみます。

つまり今回の定義では客観性は問わず、自分が成長したと思えばそれは努力、と主張することもアリなわけです。

ダイエットはどうか。経験則からいえば、これは主観的、客観的両方です。

テストはどうか。これも両方。

「いい人になる」とかだとどうでしょう。客観的ではありません(いい人の指標がない)が、主観的には努力かもしれません。

「出世する」は主観的というより、むしろ上司に気に入られてやっていくものなので、客観的かもしれません。

まず少なくとも4種類が出そろったわけで、努力の議論をするときは最低でもこの違いを知っておかなければなりません。

努力の話がかみ合わないのはそういうわけです。

Aくん「(出世したいけどなぁ…行動できないなぁ)努力って難しい」

Bくん「(いい人になろうと思えばいつだってなれるだろ)努力ができないというのは甘えだ」

みたいなことが、普通にありえます。というかネットの努力議論、本当にそんなものです。

今4種類に分けた「努力」だって、人によってどういう分類かが違うわけですから。

そりゃかみ合うはずもないですよね。

この4種類モデルはこれからの議論にいらないのでポイします。とりあえず「努力ってすんごいふんわりしたものだけど、分類しようと思えばいくらでもできる」ことを知ってほしかったからです。

とりあえず努力の定義はさっきと変えず「自己を客観的または主観的に成長させるために必要なもの」とします。

努力できるのも環境派

努力できるのも環境のおかげだ、と主張する人(私とかツイ主とか)は、努力から結果(客観的な成長)までのルートの長さを重要視します。

ですから主張するとき、努力を「学歴」や「楽器のうまさ」などと同値の意味で使います。

ある種、努力するためには個人個人のブースト値(初期値)を使う必要がある、と考えている人です。そして、そのブーストの大きさや小ささに注目します。

例えば過去、私が教えていた生徒の友人に「勉強すると怒られる」という家庭がありました。要するに「勉強なんかせず、弟と妹の面倒を見ろ」という話らしい。

そんな家庭で勉強し続けて東大に行くのは難しいでしょう。不可能とは言いませんが。

一方、親も兄もみんなそろって東大、あるいは医学部という家庭に生まれ、自らもそこに行くのが当たり前、という家庭環境なら、東大に行くのも…といったところ。

ブースト値の大きさを私が重要視するのは「本人は努力してないと思ってるけど、周りが見たら頑張ってる」とかその逆みたいなのが起こるからです。

要するにブースト値こそが「環境」なのです。

自分の力というよりは、環境こそが結果を作っており、それが後付けで努力に見える、という考えの人も含まれます。

努力しないのは甘え派

私はこちらの主張ではないので、努力しない=甘えと主張する友人からの受け売りです。

こちらは、何よりも「努力する」ということに対して重きを置きます。例えば仮に客観的な点数が上がらなくても「努力したことそのものが、よい」と考えます。

努力をまず自己成長のための礎として見ており、結果が出ないから努力をしたくないと嘆く人間を批判します。

結果が出るかどうかは関係ないと説くか、あるいは結果が出ないのはやり方が間違ってるからだ、と諭します。

また「人間は努力できないことがある」「努力しても結果がでない」という状態が未経験のため、努力しない人間、結果が出ない人間を見ると「もったいない」と感じます。

自分で何でも解決してきたという意味で、非常に有能な人間でしょう。

私の友人もとても優秀です。

ブースト値という概念については非常に懐疑的か、あるいは考えたことがないでしょう。

結果を求めるには求めるのですが、「努力は環境で決まる」派よりその割合は少ないように思います。

頑張っていたら成功しており、その頑張りは自分の努力が100%だ、環境のおかげということはない、という人も含みます。

二つのグラデーションもある

当然、ここまで極端な両者はあんまりおらず、だいたいはグラデーションになって存在しています。

また、何を努力するかによっても、立場が変わります

ところが人間は往々にして、特にこういった対立問題に関し「0か1か」「賛成か反対か」で考えてしまい、激しい論争が起きます。

私も例えばTOEICの点数を上げるぐらいなら、わかりやすい中学英語からやれば簡単に50点ぐらいなら上がると思っていますから、そこに関しては「甘えだ」派かもしれません。

しかし例えば「運動が苦手なのは甘えだ」とか言われると、ちょっとお前その体貸してみいや交換すっぞ、となります。

自分が得意なことに関しては自己責任論になりやすい傾向があるので、努力しないのは甘え派は概して優秀だといえるでしょう。

逆に、否定され続けてきて自己肯定感の低い人とか、かつてそういう経験があった人が、努力は環境による派側の気がします(私もそのタイプです)。

努力に関するネットの話は信用するな

という感じで、努力に関してネットではそれぞれ立場が異なるので、無視するに限ります。ましてや、誰かとそれについて言い争ったりするのは時間の無駄だと思います。

立場も価値観も人生も何もかも違う他人と話し合ったところで、互いに平行線であることがわかるだけなので、各々自分が思う努力をして、幸せをつかみましょう!

努力は過程が大事なのか結果が大事なのかをこちらに書いてます。

努力といえば就活の面接、あれもほどほどの努力ぐらいがちょうどいいですね。

それをこちらに書いてます。

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