家のゴキブリが気持ち悪い理由
この前、久々にゴキブリを見まして。黒光りする気持ちの悪い体がトイレでうごめいていて、思わず「ヒッ!」となったものです。
あれを見たときの、体から血の気が引いていく様はクセになりますね。
一方でマンションの廊下でもたまーにゴキブリを見ることがあるのですが、その時の感想はといえば「あっ、ゴキブリ。」ぐらい。
この奇妙な差はどこに由来するのか、考えてみます。

ゴキブリは「侵入者」である
まず触れておきたいのは、ゴキブリ…というか虫全般が、私にとってはのっぴきならない侵入者であることです。かっこよくいえば闖入者(ちんにゅうしゃ)。
突然に家に入り込んでくるように見えるものです。本当は前からいたんでしょうけども。
虫が大好きな知り合いいわく、ゴキブリがトイレにいても「あっゴキブリだ」ぐらいだそうで。
そういう人にこの気持ち悪さを伝えるなら、たぶん以下のようになるでしょう。
家から帰ってくると、ベッドの下に男が潜んでいた。
この気持ち悪さ、怖さこそ、虫嫌いの人がゴキブリの闖入に感じていることです。
では一体ゴキブリはどこに侵入しているのか。そりゃあもちろん「家」なんでしょうけども。
家、という物理的な側面だけを取り上げても、さっきのような感情の差は説明がつかない。
家=安心できる場所、自分だけの場所
非常に大事になってくるのが、一般的に家というものが、人間にとってどんな役割を持つか、なのです。
例えば友人の家に泊まるとき、何となく歓迎されていないような、そんな気を感じたことはありませんか?友人や友人の家族が快く泊めてくれたとしても、なーんかこう、寝苦しい。
枕の形が違うとかベッドじゃなくて布団とかそういうのではなく、心理的な何か。
普段寝ない場所で寝泊まりをするというのは思った以上にストレスがかかるものでして、震災時にもそれが問題になりました。
家は普通、そこに定住する人間だけを歓迎する、いわば境界線のような役割を果たしています。
この考えがゴキブリ問題では非常に大事です。ゴキブリが家にいたと我々がいうとき、物理的な障壁の内側にゴキブリがいたことを意味するだけではない。
心理的な障壁の内側にまで、彼らが忍び込んできていた。
それに思わずのけぞるのでしょう。むしろそっちのほうが大きい。
だから、廊下や学校でゴキブリを見ても特段なんとも思わないわけです。
廊下や学校は自分の家ではありませんから。自分だけを守ってくれる境界線と違ってて、あくまでオオヤケの空間です。飲食店でアルバイトをしていた友人も「店で見るゴキブリは、家のそれと違って感情を抱かない」と口にしていました。
ゴキブリが気持ち悪いものである、という先入観
これを後押しするのが、ゴキブリが気持ち悪いものである、という思い込みです。
それぐらい強固な価値観が思い込みである、なんて考えられませんが、例えば北海道出身の人はゴキブリをおそれず、むしろ興味津々だったりします。
見たことがないので、怖さよりも興味深さのほうが増すのです。へぇ!これが噂の!って。
何ならゴキブリを食べる地域さえ世界にはあります。そんな人が家でゴキブリを見ても「あっ、ゴキブリがいる」としか思わないでしょう。
本州以南の多くの日本人に「ゴキブリは気持ち悪く、不浄なものである」という思い込みがあるからこそ、反応に差が出てくるわけです。
ゴキブリは噛んだり刺したりもしないし、非常に憶病で振動に敏感なので、人間を見ると一目散に逃げていきます。
不潔なのは間違いないにしても、そこまで恐れる理由もありません。
にもかかわらず我々がゴキブリを怖がるのは、ゴキブリが怖いものである、という刷り込みが文化圏によってなされているから。
これは非常に興味深い問題なのですが、社会学あたりで取り上げてくれていないのかなぁ。
ま、ともかく、廊下で見るゴキブリが気持ち悪くない理由がわかったのでよしとしましょう。
ゴキブリといえば、ペヤングのデマについても調べています。
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