「コロナ疲れ」から一転してパーティーや飲み会に行ってしまう人の心理を考察する

倫理学
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私がこの記事で「言っていないこと」一覧(誤読を防ぐためです)

  • 私は自粛しません、コロナは風邪です
  • あなたは自粛しないでください
  • 若者は絶対にコロナになりません
  • 高齢者がコロナにかかると絶対に亡くなります
  • コロナは人口調整のための陰謀です
  • リモートで仕事できない人はすぐに仕事をやめなさい
  • 自粛せずパーティーをしましょう

ちなみに自粛せずにノーマスクを貫く人の考えは、ここで考察しました。

新型コロナウイルスの自粛疲れ、そしてパーティー飲み会へ

コロナ自粛をする最後の理由は「良心」

医療に協力したら何が返ってくるの? 追記
コロナが始まってからそろそろ一年ぐらい。そろそろ自粛したくなくなってきた。頭では自粛しないとと分かってるけど、感情的に、もう嫌になっ…

この記事を読みました。

で、「結局、何のために自粛してるんだっけ」って最近思うようになった。

老人が自粛するのはわかるんだよ。症状重いからさ。でも、俺は罹っても問題ないんだよ。どうせ無症状でしょ。まぁ、運が悪ければ人工呼吸になるのかもしれないけど、それは相当運が悪かったって諦められる。

菅首相も「若い人は軽いけど、大切な人のために罹らないようにして」って言ってたし、他の医者も同じような感じだよね。

俺は大切な人と会わないんだから、問題ないよね。大切な人がいるような人とは飲まないし。

だから、「俺は何のために幸せを諦めてるんだ?」ってなる。

これは私も非常によくわかることで、例えば去年はコロナのせいでパートナーともほとんど会えず、おたがいにマスクをし続け、表情も何もわからないという状態でした。

私はまだ慎重なほうで、買い物も必要最低限、遊ぶなら少人数で山や海など開けた場所、飲み会には参加しない(そもそも職場で飲み会禁止令が出ています)など、できることをしています。

なぜなら私には大事な家族や親戚がおり、その中には肥満、ヘビースモーカー、高齢者など、新型コロナウイルスが重症化しやすい人も含まれているからです。彼らの命を守るために自粛しています。

おそらくそれはこれを読んでるあなたも同じかと思いますが、それではこの前提を取っ払って考えてみたらどうなるでしょうか。

つまり、あなた(私)に家族や友人がいないか、いても全員若者で健康体だったとしたら。あるいは家族や友人と遠く離れたところに住んでいて、会おうと思って会わないようにできるとしたら。

そんな状態で今よりも自粛を守れますか?私は厳しい気がします。

(増田=上のエントリの投稿者)

そう、そういうことなんですよ。私も幸いに健康体とはいえ、健康でもまれに重症化するおそれはあるんです。でもそのリスクは限りなく低い。

「歩道を歩くとはねられるから外出するな」と言い出すようなものです。

若者一人にだけ焦点を当てて考えるとその人が死ぬことはほとんどなく、よって高リスクの誰も知り合いがいない場合、もう自粛をするモチベーションは「良心」しかない

自粛疲れがコロナ・パーティーに転じる瞬間

もちろん、私が仮にそういう人だったとしても、うまく良心を働かせ、可能な限り自粛を守り続けるでしょう。

ところが、それとて限界があります。トイレを我慢しているようなものです。一滴一滴「守りたくない」欲求がたまってきて、ある日どこかで破裂します。

このような意志の膀胱はあなたにも私にも誰にでもあって、無限に我慢し続けることはできません。どこかで限界が来ます。

もちろん、1年でも2年でも引きこもって、買い物は全部オンラインで済ませ、インターネットの中だけで完結する趣味や仕事があって、という人もいるでしょう。

普段は肩身が狭そうに生きてきたネット民が、ツイッターで「引きこもり耐性があることに気が付いた」とツイートしてたまにバズっています(それ自体は悪いとも良いとも、何も思いません)し、この生活に思いきり適性がある人がいることも確かです。

しかし、あれだけ「仕事もリモートにしろ、パーティーは言語道断だ」と騒いできた私を含む一般オタク(私のTL)さえ「クッソ~~やっぱりコミケも中止か!!」となってます。

永遠に家にこもっていても自分の好きなコンテンツがなくなってもまったく疲れない人のほうが珍しいのではないでしょうか。

そんな中、隣を見てみると、それはそれは恐ろしい光景が広がっています。テレビやネットニュースで映る街並みです。閑散とした観光地であることもありますが、特に心に来るのは「飲み屋」

インタビューされた人はだいたい「自分だけならいいかなと」「周りに感染者がいないので」と答えています。

「昼飲み」「バーゲン」自粛色なく 首都圏、宣言下も街混雑:時事ドットコム
緊急事態宣言下で迎えた3連休中日の10日、首都圏の商店街や商業施設は、多くの人でにぎわいを見せた。外出自粛が叫ばれるものの、客からは「昼くらい外で飲ませて」「店は開いている」と本音が漏れた。

夫婦で訪れた埼玉県川口市の男性(37)は「なじみを支援しようと思って」と説明。赤ら顔で別の焼き鳥店から出てきた荒川区の川嶋彰さん(85)は、昨年外出を控えて足腰が弱ったと訴え、「散歩ついでに1時間だけと決めて来た。夜は家で飲んでいる。昼くらい外で飲ませて」と語った。

「昼飲み」「バーゲン」自粛色なく 首都圏、宣言下も街混雑

自粛を良心によって律儀に守る人のウエストをギチギチの紐で締めあげるようなものです。我慢しにくくさせます。

成人式を普段通り行ったとか、中止したのにみんなが集まって写真撮影をしたとか、そういうニュースの一つ一つが、私たちの膀胱を全力で押さえつけにかかります。もちろん「出す」方向に、です。

おそらくですが閾値(境目)があって、そこを超えるともう自粛要請も緊急事態宣言も時短営業も何も効果がなくなって「大切な誰かを守りましょう」なんてきれいごとも追いやられるでしょう。

なぜか?

誰もが外出を楽しんでいる状況で、重症化リスクも低いのに、自分だけが律儀に自粛し続けるのは「アホらしい」からです。

そうならないことを祈りたいですが…。

どうしたらいいんだろうか

私はこれを解決する妙案を思いつきません。私が思いつくような案はとっくに官僚や政治家も考え付いているはずです。

強いて言えば「自粛ポイント」みたいなのをためて、それがどれぐらいたまると家でこんなことができます、これを買えます、ってするとか。

家でしか見られない何かのキーワードを2時間に1回とかの頻度で放映して、それを1日5回流して全問正解した人はポイントが1たまる、みたいな。たまったポイントが景品と交換できる。

うーん、微妙ですね。

一つ言えることがあるとすれば、上のエントリを書いたような人に「お前が守らないとどこかの誰かが死ぬんだぞ!わかってるのか!!」って正論を投げつけるのはたぶん、あまりよくないです。

そんなことわかりきってて、その上でやっぱり自分の欲求を我慢し続けるのは人間には難しい。

何も考えずに羽目を外している人より、「意志の膀胱が限界だからちょっと漏れた」という人のほうが多く、それが少しずつ集まって感染していくのでしょう。

もちろん「なんで今の時期にそんな大人数で旅行に行くんだよ!」みたいな例も見てきましたから一概には言えません。

膀胱が小さいのは、周りに高リスク者がいないかつ自分も低リスクである人、つまり若年層でありがちです(羽目を外す高齢者もいますが言及しません)。

しかし日本は政府の力が他国に比べてとても弱い(そういう制度)ので、一定層現れる「欲求が良心に打ち勝ってしまった結果騒いでいる」人を罰することもできず、結局いつまで持つかもわからない「良心」に頼るしかなくなっています。

その限界が来ているのがまさに今、なのではないでしょうか。

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