陰謀論に人間がはまる理由
私はかつてWGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)というものを信じていました。これは日本の右翼系言論者が唱える陰謀でして、簡単に言うと
アメリカが戦後、日本人に戦争犯罪の罪悪感を植え付けるために行った洗脳プログラム
のことです。なんのこっちゃという感じかもしれませんね。
保守派の方々はこれを錦の御旗にして「日本人は戦争への罪悪感を植え付けられ、『真実の歴史』というものを忘れた」と主張します。私はそう主張していました。高校生の時です。
ところがですね、調べてみてもこれが行われてきたという証拠はないのです。そもそも彼らは「ギルト」を「罪悪感」と訳していますが、「ウォー・ギルト」で「戦争責任」という意味がありまして。
WGIPと書いた書類があったとしても、それは決して「罪悪感を植え付けるプログラム」ではありえません。彼らが「これが証拠だ」と主張する書類だって、翻訳しましたが単に「戦争責任についての情報が書かれている書類」でしかなく…。
まあ、これぐらいにしておきます。今日の本題は陰謀論です。なぜ人間は陰謀にはまってしまうのでしょうか。

陰謀論は気持ちがよく、啓蒙主義的である
陰謀論に傾倒したことがある人間なら体感できるかと思いますが、自分だけが「真実」を知っているというのは非常に気持ちがよいのです。
これは宗教が広まっていく過程と非常によく似ています。何らかの啓示を天から受けたとして、それを一人で押しとどめておくのはもったいない、と感じるのでしょう。それで数々の宗教が広まってきました。
真実にたどり着いたものだけが、その真実を広める権利を持つ。
私は今宗教を引き合いにして陰謀論を語りましたが、これは宗教に傾倒する人間を馬鹿にしているわけではありません。むしろ、陰謀論がなぜこんなにも支持されるのか、という点で、それは宗教と同じ属性を持つから広まりやすく気持ちがよいのだ、と主張しています。
ある意味では宗教と同様、陰謀論の影響力を(良い意味で)知っているのです。
陰謀論のことを下らんと馬鹿にするのは結構ですが、そうやって終わらせては何も始まりません。
啓蒙主義的で原始的な感情…すなわち「他人に自分を大きく見せたい」という気持ちをまず認める必要があるでしょう。
冒頭で紹介したWGIPだって、それこそ日本の保守系の人達しか知らない用語です。日本人の大半はこれを知らない、日本人は操作されてきた…
これを他の人に言うことがどれほど気持ちいいか!
自分がよい真実を知っている、周りは騙されている、ああ、知ってもらって早く改心させなくては!
要するにこういうことなんですね。
陰謀論を商売に使っている人間がevilなのは認めるとして、実際彼らがモノ、というか情報を売りつけるのはこうした、善意で人々を啓蒙しようとする、良心的な人達であることも多いです。
だからこそその邪悪さが際立ちますよね。
陰謀論は万能である
そしてまた、陰謀論は万能で、絶対に負けることがありません。
例えば「WGIPがあるというのなら、その証拠を見せたらどうだ?」と言われたとしましょう。
陰謀論者はこれについて以下のように返答でき、しかもこれは『絶対に』否定できません。
「WGIPの証拠は現在見つかっていないが、それはアメリカ軍と日本政府が廃棄したからだ」
陰謀論を否定する人は「アホらし!何がWGIPじゃお前!」と返すでしょう。
しかし実際、この論は負けなしです。絶対に負けません。
一般に陰謀論を主張する人間は、このような無敵論法をよく使います。私も使っていました。
「その陰謀が明るみになっていないのは、陰謀が明るみにならないように組織がコントロールしているからだ」という新たな陰謀を唱えることができます。
この過程も非常に宗教によく似ています。「なぜ神がいるの?」と聞かれて「神はいます、信じる人間のところにおはします」と答えたところで不毛なのは目に見えています。
ところが宗教家からしてみればこれは真実であり、後はもう、神を認めるかどうかの違いしかありません。
陰謀論は、まず何らかの陰謀があることを最初に認めたうえでスタートしますから、原理に立ち返ってもそれ以上のことは何も言えません。
「いや!だから!その陰謀を隠したって証拠はないだろ!」
「ありませんよ、陰謀を隠した証拠も○○が捨てましたから」
「そんなら、陰謀を隠した証拠を○○が捨てたという根拠は!!」
「ありませんよ、陰謀を隠した証拠を○○が捨てたという証拠は○○が捨てましたから」
こういった堂々巡りになるので、絶対に論破できないのですね。
一般に、何かが「ない」という証拠を見つけるのは、それが「ある」という証拠を見つけるよりもめちゃくちゃ難しいです(悪魔の証明)。
こういったテクニックを無意識に使うことができるので、言論としては非常に優れているのです。
陰謀論からいつかは目覚める
ところが、結局陰謀論は現実が上手くいかないことを棚上げして、全てを責任転嫁するものにすぎません。何かがあればすぐに「社会が悪い」「国が悪い」「世界が悪い」とわめく悪役のようなものであって、それ自体は薬に見せかけた猛毒なのです。
陰謀論が万能であってしかも気持ちがよいものであることは認めますが、だからといってそんなぬるま湯にずっと浸るわけにはいかないのです。
結局のところ、どこかで熱が冷めてしまうか、自分の過ちに気が付くか、そんな感じで私や、私の周りの友人たちは陰謀論を卒業しています。
最近では「コロナウイルスはただの風邪だ」を主張していたアメリカ人やイギリス人がコロナにかかってしまい、「私は間違っていた」と訂正して亡くなるような事態も起きています。
陰謀論は身の回りから遠いほうが信じられやすい(ユダヤ教がどうとかフリーメーソンがどうとかはまさに)ので、逆に自分が体験してしまうとすぐに覚めてしまうのでしょうね。虚しい。
以下の記事でも陰謀論について考察しています。
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