発達障害児の指導と学校教育の難しさ

簡単にいうと「自閉症スペクトラム障害(発達障害のひとつ)のお子さんが、校長先生以下おおくの先生たちの助けのおかげで変わることができた」という素晴らしい話です。
これ自体はうん、よかったね!!と素直に喜んでよいエピソードではあります。
ただ一方で、このエピソードをもとにして『教師』一般をあまりに雑に殴りつけるネット言論も出てきそうで、私はむしろそちらを心配に思いました。
すべての先生に理想を求めないで欲しいってコメが目立つなぁ。何がそうさせるんだろう。時間がない?人が足りない?せっかく理想が見えてるのに早々に諦めるのは悲しいんだけど。

このコメント者はおそらく以下のコメントをもとに書いておられるのだと思います。
これが素晴らしいのはもちろん同意なんですけど、その上で(教えるプロではあるが、障碍児指導という面では素人に毛が生えたレベルの)教員に全ての理想を求めるのはやめてほしいです
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699492134299611778/comment/renardwithtulpa
すごく良い先生だと思う。ただ他の先生に求めないで欲しい。1人相手ならどうにかできても複数の子に同じようにはできないから
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699492134299611778/comment/hizakabu
そうですね。悲しいことには同意します。しかし「早々に諦めないでよ」などと言われては、身近な人間に教師がいた私としては、一言いいたくもなってしまいます。
端的に言って「あなたになにがわかるの?」という怒りがあります。
100文字で全てを語り尽くすことは困難なので、補足する意味もこめて障害児指導の現状を語ってみます。

教師たちは障害児への教育を「諦めている」わけではなく、むしろ全力を尽くしている
まず前提からいうと(特に日本の)学校はある程度「普通の子」を対象にした教育を行います。これは当然、学習指導要領にも書かれています。
というより、障害がない子なのかある子(いわゆる「特別支援」)なのかで、学習指導要領が異なっているというほうが正確です。
他の国はわかりませんが、日本においては30人~40人を1人が受け持つ形式が多く、そんな中で特別な子にだけ向き合うのは現実的には不可能です。もう、ほぼ絶対無理。
それを可能にする人しか先生になるなとか私の先生はやっていたぞとか思うのなら、どうぞそういった人材を屏風の中から出してください。現場の先生方は大喜びでしょう。
ただでさえ先生の離職率が高い(給料の割に明らか、高いです)ことが問題なのに、なお現場に解決を求めるのなら、もう日本に教師をしてくれる人はいなくなってしまいます。
話を聞いてるだけで「そんなの人類ができる仕事じゃないだろ」と思いますから。今ならネットがあるので「教師 ブラック」とでも調べて、教師ブロガーさんの記事を読んでみてください。

教材の準備も部活終了後なので時間外勤務は当たり前。
クマオも月120時間ほど超過勤務をしています・・・w
過労死ラインなんて当たり前です。
https://www.kumao-chan.com/2021/02/15/teacher-job-hard-top3/
月120時間の時間外勤務で自殺でも起きたらニュースになるじゃないですか、今どき。「ブラック企業!」って罵られて会見も起きるレベルの。
でも教師はそれをしなくちゃいけない。当然、残業代はなし。給特法にそう定まってるので。
そんなことがまかり通るのに、ネットでは相変わらず「無能な教師」の思い出話ばかり。いいなあ~そうやって安全圏から叩けて…。
先ほどの喜ばしい事例は実際、相当に珍しいものと思われます(だからツイートがバズっているのであって)。
息子の担任は大学時代も療育を勉強し、特別支援学校を経験して転勤してきた療育のスペシャリスト。
とあり、残念ながらこのようなキャリアをもった教師は全教師の中でも圧倒的少数です。
こちらのページには特別支援を受ける子どもの割合を2.5%と記載してあり、例えば小学校だけで比較しても普通の小学校が2万、特別支援が1000です。
現場の教師はもう、できることをできるだけやっています。
ほとんどの先生、特に最近の先生は「教師という仕事が大変」であることを知っていて、昔のように「お金のためにラクをして先生になりたい」人はほとんどいません。私の知人もそうでした。
都道府県によりますが、倍率も低いところで2倍、高いところで10倍にもなります。失敗すれば就職浪人のリスクもあります。相当な覚悟をして入ってくるはずなのです。
それぐらい子どもが好きだから、子どもの将来を見届けたいから。
でも、数十人を受け持つだけでもう大変なのに、その上普通学級に発達障害の子がいれば、負担はさらに大きくなります。
そしてその負担は現場にいる教職員に直接かかってきます。
親御さんが非協力的ならなおさらです。
「諦めている」というよりむしろ「諦めたくないのに…」と言った方が正しいように思います。
教師が体験した障害児と親御さんのケース
実際に私の知人が経験したケースは以下の通り。フェイクを入れていますが、本質は変えないように気を付けています。
他の子に突然かみついた小学生のAくんを指導した(喧嘩などはなかったという)。
その他にも問題を起こしていたため、発達障害を見るお医者さんや引退間際のベテラン教師に尋ねた。「それはおそらく発達障害でしょう」ということだった。
その件を親御さんに伝えたところ、すぐに電話がかかってきた。「うちの子が障害児だというのか!」「障害児じゃないんだから普通のクラスで学ばせろ!」と言われた。
親の意志なしには強制的に子どもを受診させることはできず、特別支援学級への移籍は不可能。
しょうがないのでその件を(殴られたほうの子の)親に説明。「先生がなんとかしろ!」との声。
…これ、どうやれっていうんですかね?
さっきの批判コメを書いた方なら答えをご存じなのでしょうけど、私や私の知人にはどうしても名案が思いつきませんでした。
いったいこの件、教師が何をして「理想」とやらを叶えるべきだったのか?
できる限りの提案をできる限りやっておいてまだ「理想を早々に諦めるな」って。
もう教師憎しで皮肉を言っているようにしか見えません。
学習障害の子を一般的な教師は指導できない
すべての先生に理想を求めないで欲しいってコメが目立つなぁ。何がそうさせるんだろう。時間がない?人が足りない?せっかく理想が見えてるのに早々に諦めるのは悲しいんだけど
「何がそうさせるんだろう」って原因はもうわかりきってて「発達障害児を教えるスキルを持つ人が不足している」なんですよね。
で、そんなことは(教職についたことがない私が5秒で考え付くぐらいなので)現場のプロである教師が知らないはずがありません。教師の前で言っても大恥をかくだけですよ。
発達障害にもいろいろありますが、例えば学習障害と言われる子はおおよそ以下のような症状を持ちます(タイプがいくつか分かれるので、全員がこれを全て持つわけではありません)。
- 右と左を認識できない。
- 文字をまったく読めない。
- 量という概念が理解できず、2+3という計算がわからない。
厚労省によれば学習障害とは
読み書き能力や計算力などの算数機能に関する、特異的な発達障害のひとつ
https://www.e-healthnet.mhlw.go.jp/information/heart/k-03-004.html
とあります。たとえばこういう子が一人いるだけで教師は頭を抱えてしまいます。
なぜなら学習障害とは「教え方」の話ではなく、脳内の問題、つまりほとんど先天的な問題だからです。
これが素晴らしいのはもちろん同意なんですけど、その上で(教えるプロではあるが、障碍児指導という面では素人に毛が生えたレベルの)教員に全ての理想を求めるのはやめてほしいです
https://b.hatena.ne.jp/entry/4699492134299611778/comment/renardwithtulpa
私がコメントで「教えるプロではあるが、障碍児指導という面では素人に毛が生えたレベル」と書いたのはそういうわけです。
工夫して教えられるというレベルではありません。完全に荷が勝ってます。
学習障害の子にも「学ぶ権利」が正当に認められるべきだし、それを公教育で充実させよう、という意見は全力で首肯しますが、そこに一般的な教師の出る幕はありません。
それは学習障害児を教育する専門の人達がすべきであって、一般的な教師がやっても疲弊するだけです。
時間もスキルもリソースも何もかも足りないのですから。もちろん教職課程で発達障害のことは学びますが、知識があるかと指導できるかは全く別物です。
まあ「足りなくなるような人材はクビにしろ」という意見もあるでしょうけど、その場合人類の何%が条件を満たすのか気になるところではあります。たぶん先生、いなくなりますね。
全ての理想を教師に押し付けてはいけない、なぜなら教師も人間だから
私がこの記事で言いたかったのは「素晴らしい理念や理想を持っていても、それを全て教師側に押し付けるのは望ましくない」ということです。
じゃあ誰に押し付けるべきかというと、それはもう圧倒的に上、国とか自治体です。
教師はあくまで現場で教える『駒』(あえてこの表現を使います)でしかなく、もう「全ての障害児に、それぞれの特性にあった教育を!」と現場に言いだすと現場が死にます。
これは他の職業で例えるなら、以下のようなことを言うのと同じぐらい、ばかげています。
- 救急救命士に全ての医学の知識をつけてもらって、その場で手術もしてほしい。
- 消防署全てにレッドサラマンダー(キャタピラがついた特別な災害対応車)を配備し、緊急時にいつでも出動できるようにしてほしい。
- 交番の警察官は毎日暴力団のところに行って、彼らをやっつけてほしい。
- 社員一人一人に全ての分野の業務を経験させ、ジェネラリストにしたい。
そりゃあ膨大なコストをかけて人権も無視すれば可能でしょう。そのかわり税率が50%になっても大丈夫ですか、という話ではあります。いわゆる「技術的には可能」というレベル。
それより、この世には「分業」という便利なことばがあります。いわゆる「普通の子」を一般的な教師が教えて、多様な子たちをそれぞれのプロが受け持つ。
そうすることで、つまり教育の構造を変えることで問題を解決しようという仕組みには同意します。
しかし「理想が見えてるのに早々に諦めることは悲しい」などとエモーショナルにかきたて、現場をさもわかったような口で(現場の方なら申し訳ないですけど)雑に叩く姿勢には断固、反対します。
そんな理想、教師はもうとっくにわかってるんです。
ゴールはあなたが見なくても、もう見えてるんです。
わかっててもなお力不足リソース不足のために救い出せない子がいる。そのはがゆさやつらさを理解している人の言とはとても思えません。
早々に諦めるななんて先生には絶対、口が裂けても直接言わないでほしい。
教師だって人間で、人権があるんです。生徒のために全てを犠牲にせよなんて、私は絶対に言いたくありません。
私が目指すのは誰の犠牲もなく、構造によって問題を解決できる社会です。
そしてその提言をする相手は教師ではなく、国です。自治体です。
相手をどうか、間違えないでください。よろしくお願いします。
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