イライラしないために、物理的に行動を変えて大脳ハックしよう!

倫理学
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イライラを抑えるために行動を変える

あなたは普段怒りますか?

私は怒ったことが片手で数えるほどしかありません。

それはなぜかというと、怒る、キレるような状況に精神を持っていかないからです(文章上で憤っているように見えても、キーボードも叩けないほど怒っているわけではありません)。

実は広く「感情」と信じられているそれは、様々な要因が重なって脳が化学反応を起こして現れる一連のシーケンスでしかない、と私は考えています。

感情に逆らえる人間などいはしない

私は以前「感情を捨て去った正義などもはや正義ではない」という旨のことを書きました。

感情というものは人間が生きる上では絶対に必要なもので、それがなければ自らの貧しい二元論的思考の箱の中に閉じ込められてしまう…。

ようするにネットに数多くいる「あいつら」と同化します。

その「あいつら」は、人間が感情で何かを書いているのを見るとコバエのように寄ってきてその人の感情を馬鹿にし、

ほらみろ正義は暴力だなどと、どこかで見知ったであろう大仰な説を印篭のように見せつけることを生き甲斐にしています。

ちがわい、人間社会ってのはその根本を感情に依存してるモンなの。

論理じゃ説明できないの。

何よりも感情は全ての物事の決定において先立つので、論理で感情を制御する、など到底人間には不可能なわけです。

例えば、ゲーム理論を確立してノーベル経済学賞を受賞したジョン・ナッシュは、若いころから幻聴に悩まされていました。

この幻聴は論理的思考を常態とする数学者…それもとびきりの才を天から与えられている…にとっても「真実」にしか見えず、彼は命が狙われているのだと錯覚し、ひどい人嫌いになってしまいました。

その後の寛解までの彼の人生は「ビューティフル・マインド」という映画に描かれていますから、ぜひ見てみてください。

論理によって感情…つまり自分の脳内を制御することなど、人間にはできません。

「感情の前に理性など無力であること」を私達は、現実を生きる上で「感情が人間社会では重んじられる」ということと同じぐらいよく考える必要があります。

その人をその人たらしめているのは脳内の化学反応の作用のしやすさ、無数のニューロンによる複雑系の入出力特性であり、逆にいえばその差しかありません。

感情に振り回されることと素直になることは別である

では、自分の感情によって何かを決定することは感情に振り回されているのか、それとも感情に素直になっているのか?

私はこの違いを「熟考時間」「振幅」に見出します。

ほとんど時間を使っていないときは振り回され、使っているときは素直になっている。

振れ幅が大きいときは振り回され、それがだんだん落ち着くなら素直になっている。

思考にリソースを費やすためには「時間の余裕」と「心の余裕」の両方が必要です。

つまりこの両方を備えている人は熟考時間が長く、それだけ感情に振り回されることが少なくなり、素直になっています。

最初は不安定な精神状態でも、時間がたつと振れ幅が小さくなってくることがあります。

自分の中で結論が決まり、あとはそれを受け入れる状態になってくるのです。これが感情に素直である、ということ。

逆に時間がたっても振れ幅が小さくならずゆらゆらしている、もっと大きくなるようなら、振り回されているということ。

理性的な人は、この振れ幅が極端に少ないのでしょう。

よく「金持ち喧嘩せず」とは言ったもので、人間は明日の食い扶持さえ稼げなくなると自然に心の余裕がなくなるものです。

貧しいから働きづめで時間の余裕もなくなり、自暴自棄的な行動に陥りやすくなるでしょう。

金持ちがケンカしないのは金持ちの人格がよいからではなく、金持ちだからです(人格がいいから金持ちになる人もいるとは思いますが)。

「襤褸を着てても心は錦」はないと考えられます。

もちろん、忌まわしき強制収容所でそれでも明日への希望を失わなかった繊細なユダヤ人のように、「夜と霧」で描かれた高潔な人間はいるものです。

ただしそれは一部分であって、そもそもあの作品が有名になったのはそれが「意外である」「レアである」から。

貧すれば鈍する的価値観のほうがやはり優位だからこそ「夜と霧」がヒットしたのでしょう。

振幅を大きくするような行動は控える

ぶっちゃけ「金がない」とか本人はどうしようもないんですが、まあそうでないとして「怒り」「イライラ」という感情を自分から遠ざけたいのなら、振幅を大きくするような行動・状態は控えます(振幅を小さくするような行動の逆です)。

それは以下のようなものです。

  • 相談事を誰にも打ち明けない
  • 空腹のままでいる
  • 眠い
  • 疲れている
  • 引きこもる
  • 運動しない

これらの行為・状態は精神を蝕みます。

つまり大脳の化学反応の質を落とします。

人間は所詮動物なので、大脳の化学反応で全てが決まります

運動をすれば幸せになるホルモンが出ることが確かめられています。

血糖値が減ると自律神経がおかしくなります。

眠くなると大脳の働きが悪化します。

引きこもって太陽を浴びないと体内時計が狂います。

逆にいえば何かこうモヤモヤして気分が落ち着かない、どうにも精神状態がまずいときはここらへんをしてみると良くなります。

絶対にとはいきませんが99%はそうでした。

ストレッサーが強烈すぎてどうにもならない問題もあります。ただ「日常における、抑えきれないイライラ」は解消して、どうでもよくなます。

いや、そんなものなくても健全でいられる!勝手なことを言うな!という謎の「自信」がある方は、たぶんその自信は「感情に振り回されて」生まれたんじゃないでしょうか。

感情ハックは冷血ではない、むしろ人間的だ

そういう頭ごなしな言い方や態度を受けると腹が立つでしょう。なんだか自分の感情を蔑ろにされているようでイライラします。

図星で正論ならなおさらです。

でも私はこのような「感情ハック」とでも言うべき方法…

つまり「イライラに振り回されるよりは、振り回されにくくなる手段を予め取る」ことは、ストレスフルな現代社会を生きる上で非常に重要で、何ならこれこそが「よりよく生きる」ことの秘訣である、とまで感じます。

巷では「怒りを感じたら6秒待つ」なんて言いますがそんなの無理ですよ。

怒りというのはそれができないぐらい強い感情なので。ですからそういうときは何ならすぐに走り出すのがいいと思います。

息もできなくなるまで走ってヘトヘトになり、それでも怒りが持続するようなことはありませんでした。ちょっとした狂人ですが…。

感情とよく付き合うことは「人間的」ではありませんか?

感情に振り回されてその場その場でキレたり不機嫌になったり、そんなのはケモノと変わらないのではありませんか?この考え方は冷血的でしょうか?

振り回されて生まれた怒り、キレ、イライラは大抵の場合悪いことを引き起こします。

あの時あんなこと言わなきゃよかった、と後悔することが多いなら、検討してみるのも一つの手かもしれません。

そして、これを他人に対して適用すれば、他人の不機嫌に振り回されることがなくなります

お腹が減ってるのかな?頭が痛いのかな?疲れてるのかな?と他人の大脳の動作不良を原因にできるようになり、自分を責め続ける地獄のようなループ思考から逃げ出すことができます。

さらに極めると「お前が不機嫌なことに私を巻き込むな、自分の機嫌ぐらい自分で取れよなァ」という他人まかせの態度さえ取れるのです。

こんな態度で生きられたらいかほどにラクでしょうか?

私はラクですよ。「なんかこの人キレてる、腹減ってるんだな」ぐらいにしか思いませんもん。自分の感情も他人の感情も信用してないので。

正義が大脳の副産物であるとしても

感情を信用しない私ですが、それでは感情の副産物である「正義」に価値などないのでしょうか?

否、そうは思いません。

感情によって綴られた言論を見て心動くのは、そこに確かに血の通った情熱を見出せるからです。

理解され得ない難しい話になりますが、感情を信用しないことと正義を信用しないこととはまた別なのです。

「絶対にこれだけは許してはならない」という強い意志がセンテンスの中で焔のように揺らめき、一種昏い熱を持ってありありと語り掛けてくる…

その温度でこちらの身まで焼き焦がされそうになるとき、私は文章の、あるいは画面の向こう側に、確かに「人」の存在性を確かめます。

感情が大脳という複雑系からの出力であるとしても、そこに「意味」を見出すことは可能なのです。

怒りについてはこちらをご覧ください。

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